よくデザインされたものを、生産する側も不幸せにならない方法でなるべく安価に作り提供することで、なるべく多くのひとがよくデザインされたものを使うことができる、ということを、デザインのデモクラシー、デザインの民主主義・民主制と呼んで、間違いではないが付け加えるならば、それはデザインのRepresentative Democracy、間接民主制とでも呼ぶべきもので、たとえばあるデザイナーのデザインしたものを買うことによりそのデザイナー(の仕事)に投票したことになり、そのデザイナーは仕事を続けていくことができる。このような感じ。デザインの間接民主制は誰かをわたしたちの代表者(ここではデザインあるいは物事を生産することを許された者)として選ばないといけない。そしてそのような間接民主制とは別に直接民主制もありうる。たとえば、3Dプリンタが有名になりつつあるパーソナル・ファブリケーションとか。あと、DIYはそもそも直接民主制。いろんなDIYのノウハウというか具体的な方法をレシピのように共有するサイトなんかもある。ちょっとまえ本棚の作り方を調べていたら辿りついた。料理のレシピ+交流サイトのクックパッドみたいに「このレシピでつくってみました〜」「ちょっとアレンジしてみたぜ」という声や写真があっておもしろい。なんというサイトやったかは忘れた。よってアドレスも分からない。ググったらいくらでも類似のサイトは出ると思う。デザインが間接民主制になったとしても、プロのデザイナーが不要になるわけではなく、むしろレシピ提供者あるいはアドバイザーのようなものとして必要になる。いわゆる料理でいう料理研究家みたいなもんとして。料理はたいていの人がやるけれど、その道のプロというのもいる。もちろんこれまで通りのデザイナーもありうる。できたのを買ってくる、すなわち外食(比喩として厳密にいえば惣菜だが)みたいなもんとして。これからどんどん、デザインの直接民主制が盛んになればおもしろいと思う。その方が(伝統)技術への関心も増すだろうし。あとあんまり関係ないけど「ものづくり」という言葉はなんか嫌いだ。なぜだろう。その言葉自体には含まれていない意味だけれど、使われ方として「つくるひと/つくら(れ)ないひと」みたいな区分を必要としているように見えるからかもしれない。身の回りの必要なもの・ことを自分に合うよう自分でデザインしつくることが、「料理をする」くらいに普通のことになれば、とてもおもしろい。そういう私はなにもデザインできないしなにもつくれないけれども。だから自分でやりたいとも思うのかしらな。あと、いま、オヤジバンドといって昔とった杵柄みたいなことで、オヤジの青春時代の音楽、ビートルズとか、をやったりしているけれど、わたしたちがオヤジになる頃にはオヤジ音響とかオヤジインプロヴィゼーションとかオヤジエレクトロニカとかオヤジポストロックとかになるのかしら。