民主化」について書こうと思ったけど、そろそろ時間がない。ともかく、民主化悪平等・均質化・大衆主権というような理解では、あまりいいことないと思う・・。けど、そんな感じの言われようをしているのが、ちょくちょくある。●●の民主化っていうとき、ほぼ例外なく、「代議制」と似た仕組みになっていて、いまの政治の制度がそうなってるからしょうがないのか、他に理由があるのかは分からないけれども、私たちの多くは直接●●に関わることはできなくて、●●のプロのつくった○○を買う=○○をつくった●●のプロに投票する、ことしかできない、という意味で、似てるような。でもこれは民主化がどうとかいうよりも、民主制の中の代議制の仕組みであって、民主化それじたいに文句を言うのは、筋違いではないかと思うけど、どうなんだろか。あとは結局、大衆に寄り添ってたら、均質化するからダメだ、みたいな類の(衆愚政治批判としての?)民主化批判は、単なるエリート主義となにが違うの、と言われたら、なかなか説明がむずかしいと思うのだけれど、そのへんは大丈夫なのか。いや、まあ、エリート主義上等、われらが大衆をひっぱらなければならない前衛なのだ!ということなんだろうけども。それはそれでそれなりに妥当性があるのかもしれんけれど、大衆化=均質化っていうのは、大衆そのものが均質的なんではなくて、大衆から似たような側面ばかりを引き出すいまの仕組みがまずいのであって、大衆それ自体が悪いとはどうも思えない。思えない、というか、思っても仕方がない。誰かのせいにするより、仕組みのせいにする方がいくぶんかマシかもというだけだけど。