朝っぱらから自動車学校にいる。一時限が8:40からだからなのだけれど、たいていは一時間ぼやっとして、二時限から技能教習している。学科が一時限からある日はよいのだけど、担当教官のその日のスケジュールが当日にしかわからんので、いちおう一時限から来るという無駄といえば無駄なやり方。朝に電話して聞いてもいいけど、電話するタイミングが難しい。8:40から一時限なのだが、それに間に合うためには8:20には家を出なければならず、しかし事務の職員さんが8:25くらいに来ているのを見ているので、8:15くらいに電話してもいいもんか、気をつかう。一回かけたことがあるが、若い教官らしき男性が出て、話がうまいこといかずかえってなんだかわからんことになったので、余計に気をつかうな。昨日、仮免の検定に通って、教官のみなさんはやたら、緊張せんごと、開き直っていきんしゃい、検定アガリになっもんね、仮免はみんなどがんでん緊張すっもんにゃ、と言ってくれるけれど、普段の練習の前でもけっこう緊張しているので、もうこれ以上緊張することはあるまいと思う。むしろ検定はぜんぜん緊張しなかった。乗っている最中に緊張していることはない気がする。案ずるより産むが易しとはよく言ったものだが、案ずる過程があるから、産むが易しだと事後的に思うのではないのかしらな。緊張ってなんやろなと思う。心配しているということなのか。あと自動車学校は若い人たちが来るからなのか、有線かなんかのJPOPチャンネルのようなものがかかっている。いまアイコがかかっている。中島みゆきのような雰囲気の声で、自分に嘘をついていませんか〜、諦めることになれていませんか〜と歌う説教ソングもたまに流れる。新橋のビジネスホテルでパンとサラダの朝食を食べている時に流れてきたやつだ。いま、誰かに説教したい人、誰かに説教されたい人、まあどっちも同じことだが、説教をする・されることで安心したいというのがあるのだろかな。気持ちはわかるな。けど、説教されたい人が誰かに説教されて安心して、今度は別の誰かに同じ説教をしだしたりするのははた迷惑としか言いようがないな。自分がその説教で安心したからといって、別の誰かもその説教を受け入れなければならないわけでもないし。