昨日は13時ごろよりよなさんとbeyer。三宅桂加さんの展示をみていた。楽しそうだったので、よかった。その後、2階というのか、中2階か、でお茶しつつ、「プロフィール展」の打ち合わせ。けっこう前に、いろんな人のプロフィールだけを展示したら面白いんじゃないかと思って、ちょっと前にちらっとよなさんに言ってみていて、すこし前からスタートした。いろんな人といったときに、ほんとにいろんな人で、プロフィール馴れしていない人も含まれる。プロフィールというか、自己紹介の展示なのだけれど。ああ、でもいま思ったけど、いま現在、プロフィール・自己紹介の形式はまったく自由ってことにしていて、いろんなかたちで自己紹介してもらえればよいと、よなさんとは話しているが、そうはいっても「作品」としての自己紹介、自己言及的な「作品」が送られてきたら、困るな。たとえば、一枚の写真が「自己紹介」です、とか。ありえないはなしではないな、これは。なので、形式は自由だけれど「ことばによる」という制約はあった方がよいのかもしれない。自己紹介というものは、結局のところウソっぱち、というか、人間のある側面だけを切り取らざるをえないもの、だとは思うけれど、だからといって積極的に虚構・作品としての自己紹介をされても困るかも。どうやろ。あと、略歴とステートメント(主義・主張)は違う、ということに、このまえ彼女とはなしていて気付いた。プロフィールというとき、私は略歴ではなくステートメントを書いているようで、ステートメントというか、基本方針というか。実際にやることやできあがるものは、個々の案件の条件によるのでやってみるまで分からないし、あらかじめ書けるようなスタイルはない。とはいえ、やはりひとりの人間のやることだから、なにかしら似通ったものはあるかもしれないけれど。プロフィール(写真ふくむ)と作品そのものと作品タイトルとキャプション、の関係には、わりあい気をつかう。ことばと物事の豊かな関係、というものが生まれるように。いい感じにジャマしあうというか。引っ張り合う関係。よなさんが提案してくれた、「プロフィール展」のチラシのビジュアルと、松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」で読んだとある箇所とが関係しあって、思ったのは、いまの人間って「国民」とか「市民」とかいうのよりもまえに、同じ傾向、同じ趣味嗜好でゆるやかにつながり合う「部族」なのだな、たしかに、ということで、よなさんが提案してくれたビジュアルはなんばの横断歩道を歩く人たちの写真なのだけれど、たしかにいろんな種類の人たちが写っているけれど、ここに写っていない種類の人(部族)もいるわけで、つまり「なんば」という場所の属性に導かれて集まってきた人たちしか写らない。梅田のハービスのあたりで撮るとまた違うだろうし、どこで撮ってもぜんぜん違うだろう。こういう「場所の属性」というものは、最初は人間がつくったものだけれど、しだいに属性に導かれて人間が集まってくるようにもなる。これはわりと不思議。昨日の夜は、古書・雑貨バートルビーの実店舗の空間構成と本棚について、ひとしきり考える。同じサイズの四角が反復する本棚は退屈だけれど、でもそれがいちばん便利でもあって、なぜならそこに入る本の形式自体が規格化されているから。壁に沿って「本棚」を置くんじゃなくて、壁に棚がついていて本が乗っていればそれはもう本棚だよな、、とか思う。といっても、本棚の形式だけ考えても意味がなくて、どういうふうに本を分類・陳列するか、が問題。よくあるやりかたの、出版社ごと、カテゴリーごと、に陳列するのであれば、ふつうの同じサイズの四角が反復する本棚がベストだろうし。分類・陳列のやりかたとしては、小さいお店なのだから、店主が個人的に見出した、「本と本、雑貨と雑貨の「あいだ」のつながり」で、分類・陳列していった方が面白い気はする。もちろん、本を探す側の効率を考えれば、カテゴリーごとに分類されていた方がよいのだけれど(たいていの本屋、古本屋はそうだ)、そんなに本の数も多くないのであれば、とりあえずぜんぶの本をひととおり見てみる、という本屋での居方を提案してもいいのかもしれない。いっそのこと、まったく分類せず、隣り合う本どうしの関係も考慮せず、ぜんぶが店主のおすすめで、それぞれ何の脈絡もなく、店内にばら撒いておく、のはどうだろうか。すこし喉が痛くて、なんだか熱っぽくもあるので、はやめに就寝したところ、6時くらいに起きた。本日は15時より散髪、19時ごろより妹の誕生祝いの食事会をきょうだい3人で。ガーデンズで、らしい。明日より5日間、佐賀に帰省。「妹島和世+西沢立衛読本-2005」は就寝前に読了。田尻裕彦,石堂威,小巻哲,寺田真理子,馬場正尊 監修「この先の建築」は第二回「磯崎新×山本理顕×小嶋一浩×千葉学×山代悟」をさきほど読み終わる。六甲のブックファーストで、仲正昌樹「今こそアーレントを読み直す」と、乾久美子「現代建築家コンセプト・シリーズ3 乾久美子−そっと建築をおいてみると」。松原隆一郎「消費資本主義のゆくえ」は第二章「戦後日本が歩んだ消費の歴史」がぼちぼち終わりそう。