10日の11時40分の特急に乗ると、13時40分くらいに博多を出る新幹線に乗れて、15時半くらいに新神戸に着く。新神戸から地下鉄で三宮に出て、ミント神戸タワレコで、キリンジの新しいのと、フラッシュバックあの人のCDを買う。キリンジとワレイカのパーロンから出てるやつにしようかと迷った。17時くらいにおじさんちに着いたか。おじさんもばあちゃんもいないけど。郵便物をチェックする。回覧がふたつ帰ってきている。みっつに分けて回覧したうちのひとつがまだ帰ってきていない。どこかで止まっているのだろう。宅配物ボックスにうち宛の荷物がなにか入っている。不在票発見。パソコンに買ってきたCDを取り込みながら、郵便物をチェックし、プリントアウトした3×4cmの自分の顔写真をカッターでA4用紙から切り取る。国勢調査の調査員証にいるらしい。19時からその説明会なので、18時15分くらいに自転車で出発。説明会は2時間。周りは初老の方々ばかり。なんやらかんやらと、書類やらなんやらかんやらいっぱいつまった紙袋がふたつ。重い。自転車で来たのは失敗だったかと思いつつ、いやこれを手に持って電車に乗るのもだるい。帰りがけに、京都からやってきたという、背油しょうゆラーメンを食べる。なかなか。京都白山から、とか書いてあったような。11日は10時より自治会の理事会。1時間弱。次回に回覧する地図をもらう。まあまあ重い。歩いて帰る。自治会ニュースをワードでつくりはじめる。夕方に彼女のおうちへ。松の実を買って来てくれとのことなので、阪急の2階改札を出たとこにある成城石井に行くが、ない。三番街の成城石井に行くが、100グラム900円ちょっと。高い。こんなに高いのか?阪急百貨店の地下に行くが、ない。阪神百貨店の地下に行く。50グラム500円くらい。高いけどもう買う。12日は13時から14時にかけて出発の予定。15時半くらいに出る。なんばのLABIだかなんだかそういうでかい電気屋なんばパークスの横を通る。彼女と彼女の弟と。ひとしきり冷蔵庫を見る。案外あっさりと決定。東芝の400ℓくらいの。上から冷蔵室、野菜室、三段目左が製氷室、三段目右が冷凍室、いちばん下も冷凍室。即日か翌日配送可、とのことで、なんとか即日配送に間に合わせてもらう。ちょっと一服しようということで、彼女の弟の発案により、高島屋前の交差点のとこを商店街にちょっと入ったとこにある、なんとかおじさんのチーズケーキ屋の二階にある喫茶店で、なんとかおじさんのチーズケーキセット。めちゃくちゃふわっとしている。シフォンみたいでもある。無印に。生活用品のフロアをひとしきり見たあと、彼女と彼女の弟を無印に残して移動。ちょっとだけ地下のムジラボを見る。たいして新作は出ていない模様。商店街を北上。途中の薬局で飲み物を買おうとケースのまえで佇んでいたら、うしろから「恐れ入ります」と聞こえて、デパートの化粧品売り場みたいな制服を着たお姉さんが、C1000タケダを持っていった。てくてくと歩いて、フィネガンズウェイクというバーなのか、バーっぽいが、へ向かう。東心斎橋というのか、あのあたりは。飲み屋ビルみたいなのに入っている。5階やったかな。みつ君のコンサート。入ったら松本渉さんがいた。「今行処」にLABIに行くっていう投稿はあったけど、今日のこれが入ってなかったから、来ないのかと思っていた、とのこと。コンサートは3曲。プログラムがテーブルに置いてある。George Brecht「flute solo」、Marcus Kaiser「anatom(5)」、Radu Malfatti「düsseldorf solo [zwei]」。ブレクトのは、フルートを分解して組み立てる、という曲。どっかでそういうのがあるとは読んだことがあるな。カイザーのは、壁に無入力のプロジェクターの青い映像を投影して、フルートから口を離してときどき吹いていた。青い映像の右上に、「no input」だかなんだかのメッセージがずっと点滅していた。休憩して、マルファッティの曲。50分くらいなのか。時間見てないから分からん。途中からトイレに行きたくなり、我慢する。5秒くらいのロングトーンを何回か連続で吹き、しばし沈黙、の繰り返しっぽかったが、構造を気にしてなかったので、細かいことは分からない。時々ポーッというフルートが聞こえてくるなあ、と思ってソファに座っていた。コムポジションでみつ君の曲を聞いたときにも思ったのだけれど、そしてこれはたぶん、作者の意図とも、演奏者の意図とも違うのだけれど、音楽を聞くというよりも、音楽を聞いていますよ、という設定のもと、ほんとはただそこにいるだけ、という感じになる。マルファッティの曲のあいだ、そういうふうになった。曲とは無関係な考え事をいくつかした。これはなんというか、温泉に入りながらぼーっとしているのと似ていて、「温泉に入っています」という目的があるので、それ以外のことはしなくても大丈夫というか、いまぼーっとしていると書いたが、厳密にいうとぼーっとしているのではなく、温泉に入っているのであって、ぼーっとしているわけではない。ということになるが、実際はぼーっとしている。あやふやな目的を遂行中ということにして、なにもしていない、というのは面白い。しかし、これは作者の意図とも演奏者の意図ともぜんぜん違うのであって、なぜならばこれは「音楽」だからで、対して私は「音楽」として聞いていない気がする。たぶん。最近ふと思ったのだけれど、自分は音楽を音楽として聞いていないようで、正確には、音楽のための音楽として音楽を聞いていないというか、もっと漠然とした抽象的な聞き方をしているか、好き嫌いで聞いているかのどちらかで、具体的になんらかの論理として聞く訓練をしていないともいえるけれど、これはまあ音楽家以外はみんなそうだとは思う。むかしの聴衆はそうじゃなかったんだろうけど。そこらへんの食い違いが面白いと思う。音楽に限らず美術とかアートに関しても。マルファッティの曲が終わったらすぐトイレに行って帰ってきたらみんな今日の3曲の楽譜に群がっていた。プログラムの選択、流れ、どちらもよかったと思う。風邪気味なのか、それとも風邪か?と思って出る前にパブロンを飲んだからなのか、身体がふわふわするので、すぐ帰る。