坊さんは13時30分くらいに来た。うっかりタイミングを逃して関西スーパーに近い方のバス停で降りそびれたが、10時15分くらいにバスを降りて、関西スーパーでお茶とまんじゅうとなんとなくビタミン飲料と仏花を買った。坊さんは11時に来る予定だったが来なかった。なかなか来なくて、ヘルパーさんの方が先に来た。味噌汁とお惣菜の白身魚のフライとハムとなんかの野菜のサラダをつくり、ご飯を炊いた。そのあいだわりとずっとしゃべっていた。声が大きいのでばあちゃんが注意した。周囲に迷惑になると思うらしい。13時くらいにヘルパーさんは、なにかの書類に記入して帰っていった。一回、鍵を取りに戻ってきた。すこし居眠りしていると、なにか音が鳴ったような気がして起きたら、13時30分で、玄関まで行ってみようと降りたらエレベーターのところで坊さんと会った。どうやって入ったのか。たぶん管理人さんに開けてもらったのだろう。読経。10分くらいか。禅宗らしいということは去年のいまごろ書いたはず。お茶を出す。適当なお盆が見つからなかったのでそのまま出す。まんじゅうはたぶん食わないので出さない。用意はしていたが。すこしばあちゃんの田舎についての雑談をする。檀家さんのなかには100歳近い人が5人くらいいるらしい。そろそろ行きますかな、とのことなので、お布施を。今日は朝から兵庫・大阪の檀家さん回りらしい。その後、ばあちゃんとソファでぼーっとする。居眠りしていると、ばあちゃんがベランダの溝の掃除を素手でやっていたので、とりあえず雑巾を渡す。16時50分くらいに、ヘルパーさんが来る。何時か定かでないが、ヘルパーさんも坊さんもいない時間帯に管理人さんも来た。なにやら、このマンションの理事の仕事が回ってきているらしい。帰りのバスのなかで考えてみたが、とにかく、分からなくなったのだろう、と考える。音楽とかアートとかなんでも。とりあえず、分からない、なにもかも。分からないのは、私の責任なので、誰も悪くない。楽しめないこともないが、楽しめてはいるが楽しくはない。受動的に楽しまさせられることはできるが、主体的に楽しくはない。部分的に楽しいことはあるが、全体として楽しくはない。ほかの楽しいことはなにか考えてみる。読書だな。読書は楽しい。本というのはものすごくいろいろある。もちろん現実の経験にもいろいろあるが、本くらいにはいろいろない。現実の経験は現実の身体と社会的な立ち位置で限定されているし、現実の経験はわりとどうにでもなってしまったりする。本のはそういうやわらかさが少ないのがよい。いまは、経済と建築の本が多いか。建築の本は元気が出る。経済のは、教科書的なのはむずかしい。音楽やアートは、なまじ「かたち」があるから、理念としての「いろいろ」を邪魔をするのかもしれない。もちろん文章にも文体という「かたち」があるが、そんなにばらつきはない。柳瀬訳のフィネガンズ・ウェイクみたいなのがゴロゴロあれば、逆に読書にも飽きるかもしれない。あと、知らない街をうろうろするのは、かなり楽しい。小説より映画より音楽より現代アートより、ぜんぜん楽しい。日光に当たるのもいいな。人間のつくったものに接するのがしんどい、というのもあるかもしれない。金曜ロードショー魔女の宅急便をやっていた。すこし見たが、眠いので寝た。通り雨が来たので、起きた。あまりに蒸し暑いので、ものすごく久しぶりに、1年、2年ぶりくらいか、エアコンをつけようと思ったら、ものすごく久しぶりなのでリモコンが無くなっていた。夏も冷房つけないし、冬も暖房つけない。室内でダウンジャケットを着ればよい。妹の部屋のとエアコンは同じなので、妹にリモコンを借りた。ばあちゃんちの帰りに西北のジュンク堂に寄る。TATTAKAさんから教えてもらった、牧野英二「カントを読む ポストモダニズム以降の批判哲学」を立ち読む。講談社現代新書前田英樹「倫理という力」というのがすこし気になる。倫理とか正義とか道徳とかいう人がとりあえず苦手なのだけれど、それは倫理とか正義とか道徳それ自体が嫌いなわけではなくて、倫理とか正義とか道徳とかいうことばを持ち出すだけでは何かを語れていることにはならないという疑問があるだけなので、こういう書物はやぶさかではない。あと、倫理とか正義とか道徳とかいう人が嫌なのは、それを持ち出すことで自己の信条とか信念のレベルに話を持っていってしまうからだ。そのうえで、個人の信条・信念については議論できないよね、しょうがないよね、やれやれ、みたいな雰囲気を出す。結局「人それぞれ」に逃げる。私は「人それぞれ」が嫌いだけれど、それは他人と分かり合いたいからではない。ただ単に変化を求めるからだ。私でもあなたでもないものに変化する。どう変化するかは変化しさえすればどうでもよい。「ほんとうの私」などないし、「なりたい私」などもない。西沢立衛編著「西沢立衛対談集」が出ていたので買う。「VOL lexicon」というキーワード集みたいなのもちらっと見たら面白そうだったので、買う。合計3800円くらい。カバーも袋もいりませんとお伝えする。ソクラテスの弁明の関西弁版みたいなのがあった。ちょうど2,3日前、ソクラテスの弁明を読んでいたところなので、立ち読む。いや、でも、分からない、というのは、けっこういいかもしれない。モチベーションにもなりうる。芸術や音楽やなんかをお勉強しようとは思わないけれど、考えるのは面白いかもしれない。この前、ヒモとか封筒を買いに100均に行ってみたら、無印みたいなシンプルな食器があったけれど、やっぱりダメなのは一目瞭然で、デザインがどうとかいう前に「造り」として、あまりに美しくない。ラインが妙にぼんやりしている。釉薬が厚いのかなんなのか、そのへんの細かいところは分からんけれど、あまりにぼんやりしている。シャープじゃない。だいぶ前にダイソーで売られていたというG型しょうゆさしの偽物もびっくりするくらいひどい造りだったし。