ああ、、音楽における「実験」についてなんだかみょうにエキサイトしてしまったけれど、なんというか、実験とかの「少数派の正当性」を声高に主張するよりも、実験の魅力、実験の面白さ、について語った方がだんぜん良いというか、そもそも「音の実験/音の快楽」とかいうニ項対立じゃなくて、自分のやることに自分がどのような面白さを感じているか、を語るだけで、いいと思う。いちいち自分が属するカテゴリー・コミュニティとしての「実験」の正当性をうんぬんする必要はまったくない。なんだか分からないけれど、少数派の特徴として、やたら多数派に対して攻撃的というか、被害妄想みたいになっているような気がするけれど、これはいったいなぜなんだろう。それか逆に少数派であることに、妙な誇りを持っていたりとか。別に誰も迫害なんかしてないのに。無理解はあるかもしれないけれど、それは理解してもらおうという気がないか、そのやり方がまずい、というだけだし、そもそも「少数/多数」、「非主流/主流」とかじゃなくて、たんに専門性の違いってだけのような気がする。まあ、いいか。すくなくとも、私のまわりには、そういう人はいないし。いや、そしたら、そもそもいないのかもしれない、実験原理主義者みたいな人なんて。ブックファーストにて、アマルティア・セン「貧困の克服」を買おうとしてやめる。定価で買わなくても探せばどこかにあるかも。光文社新書の、高田明典「難解な本を読む技術」、古荘純一「日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか」がすこし気になるが、買うまでには至らない気もする。日本の子どもたちの自尊感情はとても低いらしい。というか、子どもたちに限らず、大人でも自尊感情はとても低いような。いや、低いとか高いとかじゃなく、自尊感情というものに囚われすぎなのか。昨日、東アスのサイト(http://www.tozai-as.or.jp/)にある、乾久美子さんの講演会テキストを読んで、「御殿場のアウトレットブティック」の内装がシンプルだけれどすごく面白そうだと思った。掲載されている写真とアウトレットモールの情報から、どうもメレーズというセレクトショップのアウトレットらしく、取り扱い商品は、ディオールとかジバンシィとかロエベとかマーク・ジェイコブスとか。よく知らんけど、高そうではある。なにより、このアイデアをどういうふうにクライアントに説明し、分かってもらったのかが気になる。あとは、「仮想の光源から求められた影」だけがデザインだとしても、計器そのもののデザインとか配置とかはどういうふうにやったのだろう。そういうのはあらかじめ決まっていたとかいうこともありえるけれど。乾さんも言っているけれど、とにかくショッピング・モールっていう建物はつまらないものが多くて、つまらないというのは、外見がどうとか内装がどうとかではなく、ただたんに建物のなかを歩いていて「つまらない」。モノの「消費」、イメージの「消費」以外にエネルギーを使うなと言われている気になる。どこに行っても、まず吹き抜けがありそのかたちに沿って1階、2階、3階・・・・・と積み重なっている。郊外のアウトレット・モールとかイオンとかゆめタウンとかは言うまでもなく、西宮ガーデンズもそうだし、東京ミッドタウン表参道ヒルズもそうだったかな。さすがにミッドタウンはいろいろ変化があった気がするし、表参道ヒルズもゆるやかに階が繋がっていくのがけっこう面白いのだけれど、とにかくガーデンズはひどい。やたら広いわりにぜんぜん変化がなくて、とにかく歩くだけで精神的に疲労する。吹き抜けがあってそのまわりを部屋が取り囲む、っていうのは、どこか監獄のようでもある。なんばパークスはどうやったな。そんなにじっくり歩いた記憶はないけど、ガーデンズほどの、歩いていての「うんざり感」はなかった気がする。いま調べてみたら、なんばパークス、博多キャナルシティと同じ建築家らしい。キャナルシティはどうやったかな。九州にいるころに行ってたけど、興味をひくお店はぜんぜんなかった気がする。でかいゲーセンと電気屋のイメージ。外に設置するタイプのストーブが珍しかった。最近だと、六本木のツタヤの外とか、ミッドタウンでもみた。このまえ九州に帰ったとき、車で近くを通ったけど、とにかく全体的にバカっぽいとしかいいようがないのがやるせない。そういや、垂水のアウトレットも、ビショップがあるから彼女と見に行ったけれど、『「陽気な南欧の港町」をテーマに、教会やホテルなどさまざまなコンセプトで設計された建物が、入り江にたとえたフィッシャリーナを囲むように配置されています。 』とのことで、非常にキッチュな感じ。けっこううんざりする。なぜわざわざ垂水で「陽気な南欧の港町」イメージに触れないといけないのか。ヨーロッパっぽさのうんざり感でいえば、神戸モザイクなんかもかなりうんざりする。こういうショッピング・モールってどっかからの借り物のイメージを使って雰囲気を貼り付けるだけで、「建物」だけが人間に与えられる影響、空間の質のようなものへのベクトルが、ぜんぜんない。そういうことでいえば、デパート・百貨店も、店内を歩いていてぜんぜん面白くない。阪急だろうが阪神だろうが大丸だろうが高島屋だろうが松屋だろうがOPAだろうがなんだろうが、そのつくりはほとんど同じだし。だだっぴろいフロアが階段、エスカレーター、エレベーターで繋がっているだけ、という。いや、うーん、商業施設というものは、モノの売り買いという行為がメインであって、歩いて楽しいとかは関係ないんだろうけど。必要にかられて、いまさら透過GIFについて調べる。背景と文字をうまく馴染ませる方法について。自分のホームページをつくる分にはそんなテクニックまったく関係なくて、そもそもナビゲーションというかボタンを画像でつくらないと決めているからで、大学に入ってホームページとか作り始めて1、2年くらい経ったときか、そう決めた。イラレの書体とかを画像にして使ったりしだすと、やれることが多すぎてキリがないというのもあるし、そういう方向を採っても、行く先はプロっぽいウェブサイトしかない。プロじゃないのにプロっぽいウェブサイトをつくる必要はない、ぜんぜん。いまだにレイアウトにテーブルつかってるし、CSSがなにかよく分からないからとりあえずフォントの一括管理にしか使ってないし、あっ、そういえば、末永史尚さんのウェブサイトが引っ越ししてリニューアルされていて(http://www.fumisue.sakura.ne.jp/)、そのトップページにある展示風景に驚いた。すごく面白そう。なにより末永さんご本人が。描いたあとも面白がれるというか、とにかく面白がれる余地がたくさんありそうな。たんじゅんに、欲しい。。ああ、でもひょっとしたら売り物ではないかもしれない。こういう作品って売り物かどうかでちょっと意味が変わってくるし。モビールとはまた違うわけだし。売り物かどうかというか、見るひとに与える自由の度合いというか。