昨日の夕方、母ちゃんがやってきて、今日はばあちゃんの田舎へ墓参りと墓掃除と親戚まわり。ばあちゃんと母ちゃんとおじさんと四人。この前の大雨で起きた水害で大変そうだが、みんな明るい。流木がいろんなところに落ちている。行きはスムーズだったのだけれど、帰りで渋滞。いまも渋滞。おじさんと母ちゃんが水害のお見舞い回りに行っているあいだ、ばあちゃんとばあちゃんの兄さんと兄さんの奥さんと弟さんと私の5人になって、いまみんなの年齢を合計したら350歳くらいだなと思うと、これはすごいことだ。さっきインターを降りたところのなんとか畜産の直売所で肉を買って、今日は焼き肉らしい。でもまだ渋滞。昨日、阪神西宮のブックファーストでちらっと見た、湯浅誠さんのやったかな、「どんとこい、貧困!」みたいなタイトルの本が面白そうだった。よりみちパンセのシリーズなので中高生くらい向けっぽいが、気になる話題がたくさん。貧困というか、今後どう暮らしていくかが大問題だ。いろいろ多角的に考えたい。いまの常識に合わせて、というかいまの普通に合わせて考えていると、どんどん暗くなるし。まずは考え方だけでもなんらかの抜け道を見つけたい。焼肉を4人で食べたあと、片付けに入る。おじさんはテレビのまえで寝ている。片付けに入ると、ばあちゃんもテーブルの上のものを片付けにはいる。でも、どうしても適切な片付けができないので、手伝ってくれてありがとうと感謝の意を表しながら、サポートする。残り物をすべて同じ器に入れてしまおうとしたり、まだ熱いホットプレートを触ろうとしたりするので、さりげなく受け取ったり、さりげなくホットプレートを台所に持って行ったりする。それじゃダメだとか、なんでそういうことをするのとか、なにもしなくていいとか、言ってはダメで、もしうまくできなかったとしても、認知症のためにただそのやり方を忘れてしまっただけなので、片付けようとしている意思をきちんと尊重しなくてはならない。片付け終わったあとに、つまり机の上にモノがなくなったあとに、昨日の食べ残しのナシをデザートとして机の上に置いたのだけれど、そのナシの皿をも片付けようとしてくれるので、洗い物をしながら、それはデザートだから!と言うと、気分を害してしまい、分かりましたよっ!と嫌味を言われてしまったが、結局はラップをかけなおしてテーブル横のサイドテーブルに片付けていた。いま思うと、モノは片付けたがテーブルの上を拭いていなかったので、テーブルを拭かないと片付けが終了しないということなのかもしれない。ばあちゃんは気分を害すとなぜか標準語になったりする。今日は、バカにしてるだろう!と怒っていた。その後のナシは、母ちゃんがテーブル横のサイドテーブルから取り出してテーブルに置いていたが、結局またばあちゃんがラップをかけなおして洗い物をしている私のところに持ってきてくれたので、御礼を言って冷蔵庫に入れた。とにかく、ばあちゃんが混乱しないような環境、ないしは、状況づくりを心がけないといけないということを改めて思った。明日はみんなでガーデンズにてご飯を食べよう!とおじさんが盛り上がっていた。ガーデンズ、そんなに美味しい店があるわけでもないので、別のところになるかもしれない。明日はFLOATにて、ヘッドホンで聴く、屋外の映像と音のイベントがある。→http://float.chochopin.net/event.php?day=20090815 FMラジオを持参の方は入場無料らしい。すごい!前々回くらいからやったかな。前述の用事があるので行けないけれども。