Fenneszの新しいアルバムは「Black Sea」というらしく、アナログでは6曲、CDでは8曲らしく、しばらく店舗改装のためだったかなんだったかとにかく閉まっていた口笛文庫に18時過ぎに行ってみると、その前には姉ちゃんとケンタッキーのチキンを食べていて、姉ちゃんは今日チキンジョージにXジャパンのパタのバンドを観に行くらしく、そのパタのバンドは歌なしらしく、音楽には歌があるものだという人からすればインストが「歌なし」と呼ばれるのは当たり前ではあるけれど、その前提じたいは別に当たり前でもなんでもない。とにかくチャリで六甲道のりそなのATMまで行ってお金をおろしたあと、口笛文庫に行ってみると、その前にチャリで六甲道のりそなのATMに行く途中に口笛文庫の前を通って口笛文庫が開いていることは確認済みだったのだけれど、帰りに寄ってみると、開いていた。そしていままでは口笛文庫のある建物の1階の一部だけが口笛文庫だったのだけれど、どうやら1階ぜんぶが口笛文庫になるようで、レジのうしろの空間は仕切りがされていて見えないが、電気がついていて店主のおにいさんが作業をしているらしく、レジでは奥さん、たぶん奥さんだと思う、が編物をしている。いまレジと呼んだけれど、レジというとスーパーのレジっぽいので適切ではないような気がするが、それ以外の呼び名をちょっといま思いつかないので、適切ではないような気がするとだけ記して、とはいえお店の人に聞いたわけじゃないので、広くなるのかどうかは分からなくて、たんに新しい空間は倉庫になるのかもしれないし、ぜんぜん別の使われ方をするのかもしれないし、分からない。木田元ハイデガー存在と時間』の構築」は「第一章 『存在と時間』既刊部の概要」を読み終わってきりがいいけど面白いので読みつづけようか。保坂和志「小説、世界の奏でる音楽」は「9 のしかかるような空を見る。すべては垂直に落ちて来る。」を読み終わって最後の「10 遠い地点からの」に入る。東浩紀存在論的、郵便的ジャック・デリダについて」はさっきやっと「第一章 幽霊に憑かれた哲学」を読み終わって「第二章 二つの手紙、二つの脱構築」に入る。ハイデガーは「存在と時間」において、

時間性は存在するのではなく、おのれを時間化する

と書いたらしく、木田元さんによれば

「時間性は存在するのではなく、おのれを時間化する」というのもおかしな言い方だが、時間性は存在者のように存在するのではなく、おのれを時間化する、おのれを時間として生起させる働きとしてあるものだと言いたいのである。もう少し詳しく言えば、<現在>のうちにいわば差異化が起こり、ズレが生じ、通常<未来>とか<過去>とか呼ばれている次元が開かれ、時間という場が繰りひろげられる事態を、<おのれを時間化する><おのれを時間として生起させる>といった言い方で言い当てようとしているのである。