●「よかれと思って」がいちばんタチが悪い。このあいだの陶器市の手伝いのときに改めて思った。そもそも「なんのために」「よかれ」なのか、の反省が含まれない「よかれ」は誰のための「よかれ」でもない。強いて言えば、よかれと思った本人にとっての「よかれ」でしかない。のがあまりにタチが悪い。●タワレコにて一十三十一の「TOICOLLE」を買う。DVDもついて2800円。いまヘッドフォンから流れているのは「キラメキmovin'on」。一十三十一さんを教えてくれた直嶋君にありがとうと言いたい。「一十三十一はシティポップスである。」→http://d.hatena.ne.jp/k11/20080201 ●実のところなにもかもすべてが「どうでもいい」のだけれど、「どうでもいい」すらどうでもいいので、どうでもよくなくて、そうじゃないふうにどうでもよくないひとはどういうふうにそう思えているのか不思議に思う。●音箱展の案内係のバイトをしていて思ったのは、まったく知らないひとといろいろ話したりできるのが面白いのだけれど、仲良くなるのはなぜか4、50代くらいにみえるひとたちばかりで(といってもみんなものすごく好奇心旺盛でいきいきしていて若いのだけれど)、若いひとは2人とか何人かのグループで来るのでそもそも話す機会がないというのもあるかもしれないけれど、面白いひとたちはみんな年上だ。これはどういうことか。あ、でも今日音箱展レセプションにてお話した江原里奈さんは若い面白いひとだった。いや、私も平成18年時点での日本人男性の平均寿命まであと52年なので一般的にはぜんぜんまだ若いのですが。たんに私も含め若者はそうじて引っ込み思案なのかしら。●安冨歩「生きるための経済学―〈選択の自由〉からの脱却」が面白そう。●パラドクスを具体化・物質化することになんの意味もない。そもそも具体化した時点でそれはもはやパラドクスではない。モノであるからには抜け道が必ずある。