●音箱日記(http://kavc.or.jp/apf/soundbox/diary.html)にうすら笑いを浮かべて登場しています。●先日の川柳、「女房は 平家の流れを 汲んでいた」の作者は栃木県の蓮見博さんでした。(http://www.nhk.or.jp/kansaihot/senryu/index.html)●「女房は平家の流れ」とか「平家の流れを」とか「川柳 女房 平家 流れ」とかで検索してここにたどり着いた方がけっこういる。●バーバラ・M・スタフォード「ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識」第二章「協和のフィグーラ」より

アナロジーの変容戦略は絶対的な違いということにはこだわらず、少しずつ違っていることを愛でた。個のアイデンティティを維持するには、対立しあう立場に類比を見出し、いわば三角関係になるようにしなければならなかった。二極対立を弛めるには近親(kinships)の構造的システム―18世紀の「カンヴァセーション・ピーシズ(coversation pieces)」に形として見えている―が必要だった。

「絶対的な違いということにはこだわらず、少しずつ違っていることを愛で」るということは、違いもまた変化していくということを認めること。少しずつ「絶対的に」違っていることを愛でることとは根本的に違う。いまはどちらかというとこちらの方が多いようにみえる。また、二極対立(神々の闘争?)のまま個のアイデンティティを維持するには、積極的無関心か、否定的理解か、しかない。たぶん。