JR六甲道をちょっと過ぎたところにあるりそなのATMで8000円引き出し、宇仁管書店に行くといつものおやじさんではなくおかみさんらしき人が店の奥にいて、なぜかミハイル・バフチンマルクス主義言語哲学(桑野隆訳)」の位置がちょっと変わっていて、おそらく言語学関係の棚と思われる棚の一段上に移動していて、ひとしきり見回ったあとにトイレに行きたくなったので、大きい方だけれど、店を出て(このあと西宮北口に行って無印とジュンク堂をのぞく予定だったので、その予定からすれば山側に登っていって阪急の方へすこしでも進んでいた方がいいのだけど、そうはいってもその道すがらトイレがありそうなのはセブンイレブンくらいで、コンビニのトイレはなんとなく嫌なので)どうしようかと思案して、ちょっと下ったところにあるフォレスタ六甲のトイレを目指すことにして、1Fは女性用だけで仕方がないのでB1Fの男性用に行くとふたつある大きい方用のがふたつとも使用中で、それならばということで、2Fの灘図書館までエレベーターで行きぶじ用を足したその直前に、灘図書館の男性用トイレのふたつある大きい方用のはそれぞれ洋式と和式で、まず洋式に入ったところトイレットペーパーホルダーに「トイレットペーパーを持っていかないでください!」というようなことを書いた紙が貼ってあって、もしやと思いチェックすると持っていかれていて、いつも持っていかれるから張り紙がしてあるのか、張り紙がしてあるからいつも持っていかれるのか、どうなんだろうと思うが、張り紙がしてある時点からしか私はこの洋式トイレのことを知らないのでなんともいえないが、いまの時点でいえば、両方あるのではなかろうかと思うのは、このあと入る和式の方のトイレットペーパーは無事だからで、なぜわざわざ張り紙のしてある方から持っていくのかといえば、張り紙がしてあることで、「持っていくやつもいるんだな」「持っていくのもアリだな」とか思い出させてしまうからかもしれないけれども、それでしょうがなく和式の方に行ってみるとこちらのトイレットペーパーは無事なのでぶじ用を足して、そのあと少し図書館をぶらぶらしていると、モーリス・ブランショ「来るべき書物」がある棚に、ウンベルト・エーコ/ジョナサン・カラー/リチャード・ローティ/クリスティーン・ブルック・ローズ「エーコの読みと深読み」という連続講義録があって、カバーの折り返しのところにこの本についての短いコメントが載っていてそこでエーコは、解釈の幅を限定しなければならない、というようなことを言っていて、もっともだと思うのだけれど、これは作者の側からのものというより、解釈者が無限の選択肢のなかに落ち込まないようにする、ということかしらと思ったりもするが、中身を読んでないのでなんともいえない。テクストに限らず、なにかの対象に触れそれについて考えるとき、その行為を解釈というからややこしいのであって、解釈というより(他人のことば・他人の表現を、自分のことば・自分の表現に置き直す)翻訳だと考えれば、おのずとそのなかには限定も含まれるし、いかがでしょうかと思う。灘図書館を出て阪急へ向かう途中に口笛文庫に寄るとさっき宇仁管書店で見かけた女性がいる。おかっぱっぽい髪型で細身のジーンズにざっくりとしたカーディガンの下はシャツで白いスプリング・コートのスニーカー(ジョン・レノンも愛用していたという)だったような気がするが、たぶん大学生だと思うし、わりあいさっぱりとしたおしゃれな感じで、そういう感じをイメージしていただければと思う。宇仁管書店でも口笛文庫でも、今日は収穫なし。西宮北口の無印では季節のお買い得品の綿麻のグレーのドローストリングパンツと同じく綿麻のカーキのカーゴパンツと木の座椅子と懐中電灯(http://www.muji.net/store/cmdty/detail/4945247111125)が気になるがとりあえずやめておく。無印の生活雑貨のベクトルがプラスマイナスゼロとかなり近くなってきていて(日常のちょっとした問題を解決するというか、ここがこうなってたら使いやすいけどな、というのを掬い上げるという意味で)、どちらも深澤直人さんが監修というかディレクションしているのだからしょうがないのかもしれないけれど、でも微妙な住み分けもあるような気もする。無印は消極的提案でプラスマイナスゼロは積極的提案というか。無印でやるには強すぎることをプラスマイナスゼロでやって、プラスマイナスゼロでやるにはささやかすぎるのも無印でやって、というような。実家にはプラスマイナスゼロのマグカップのグレーとホワイト(http://www.pmz-store.jp/prodocuts/mug.html)と、ジャスパー・モリソンがデザインしたローゼンタールのマグカップ(http://blog.walkerplus.com/tokyo/archives/2006/06/post_11.html)があって、どっちもものすごくいいのだけれど、まずなにがいいかというとその容量で、ギリギリまで入れるとたぶん280mlくらいで、カイ・フランクがデザインしたイッタラティーマもかなりいいのだけれど250mlで、私にはすこし物足りない。あと重さはティーマもプラスマイナスゼロもあまり変わらなくてまあそこそこ重いけれど、ローゼンタールはふたつに比べてかなり軽い。というか薄い。なので口当たりはどちらというとティーマとプラスマイナスゼロの方がいいけれど、佇まいとしてはローゼンタールの方がだんぜんスマートである。ローゼンタールとプラスマイナスゼロはぜんたいとしては似ているけれど、たしかプラスマイナスゼロの方だったと思うけれど(プラスマイナスゼロのマグがいま手元にないので比較できないけれど、実家で比較してみた記憶によると)、持ち手の位置がちょっとだけ上だったり、ローゼンタ―ルの方は持ち手に差し込んだ指が直接マグに触れないようになっていたり、する。プラスマイナスゼロはほんとに「ふつう」で、ローゼンタールはちょっと違う「ふつう」という感じ。というわけで、いいねーこれ、と言っていたら、父ちゃん曰く、やるよ、資料用に持ってるだけだから、とのことで、ティーマは黄色いのがうちにあるし、プラスマイナスゼロのは1575円とお求めやすいので、ローゼンタールをもらって、いま使っているのはジャスパー・モリソンのローゼンタール。でそのサブとしてカイ・フランクティーマと森正洋の無印の白磁マグ。ジュンク堂でみた「現代思想 2008年5月号」の表紙にアントニオ・ネグリ特集とあって、アントニオ・ネグリ「芸術と非物質的労働へのアプローチ」という文章がはいっていて、ちょっと読んでみたら面白くて、でも、このためだけに1300いくら払うのもなあと思ったけれど、ネグリは、人間のあらゆる生産活動は創造的側面を持っていて、芸術は労働の一種である、あらゆる芸術活動は商品になり得る、というようなことを言っていて、もちろん立読みなのでズバリこういうふうに言っているわけではないけれども、芸術を、生産と消費/労働と資本のサイクルとは無関係なものと見なすのはあまりにナイーブ過ぎるし、かといって、芸術を、生産と消費/労働と資本のサイクルのなかでしか生きられないものと見なすのも芸術を殺すことになる、っぽい。そもそも人間のかかわるあらゆるものごとに「所有」の概念を当てはめることができる以上、あるモノ(ゴト)を持つ者と持たざる者との交換が成立し得るわけで、そういう意味で、人間のかかわるあらゆるものごとは商品になり得る。そこで、芸術を「所有」するとはどういうことか?また芸術を「消費」するとはどういうことか?という問いが出てくるけれどこれは、芸術の「所有」や「消費」をむやみやたらに非難・否定するよりも、よっぽど現実的で生産的なものだと思われる。あと、生産と消費のサイクルにとって、生産者と消費者のあいだの「相互に承認しあう」ということがどれだけ重要なのか、が気になる。相互承認がなくなるとは思えないけれど、それだけではないはずで、このあたりのバランスを考え直したら、お互いにもう少し違う関係が築けそうな気もする。お互いに「我」にこだわり過ぎているのかもしれないし、簡単に売買で、売りと買いで、済ませてしまうことに慣れきっている。その剰余、余り、過剰、ないしは欠如を見えないものとして。完全に等価な交換などありえなくて、交換が成り立つのは、持つ者と持たざる者とのあいだであることから分かるように、不均衡のあるところで、しかも、持つ者は自分が持つモノ(ゴト)をより高い価値のものとして交換したがり、持たざる者は相手が持つモノ(ゴト)をより低い価値のものとして自分が持つモノ(ゴト)と交換したがる。そこでは常に、どちらかがどちらかの価値より高く、また、どちらかがどちらかの価値より低く、なるわけで、というよりも、そもそも「価値」というものが相対的なものなので、まったく同じモノ(ゴト)であっても、状況によってはその価値が変動する。「価値」という概念は、なにかとなにかが「=(イコール)」・「同じ」ではないこと、つまり「差」があること、を要求する(「意味」と「価値」は違うものだけれど、しばしば混同されているような気もする)。私は、あるふたつの項における「交換」ではない、無指向で一方的な「譲与」に興味がある。誰からもらったかも分からないモノ(ゴト)のお返しは、どこに(誰に)向かってしたらいいのか、また、誰にあげたかも分からないモノ(ゴト)のお返しはどこで(誰から)もらったらいいのか、ということに興味がある。禅でいう陰徳?(音箱展の坂出達典さんの作品のキャプションで「陰徳」のことを知る)ちょっと違うか。今日はKAVCが休館日なのでお休みで明日からまた3日行って1日休んで次が最終日で音箱展も終了ということになるのだけれど、昨日はみつ君と鈴木さんご夫妻も来てくれて、ありがたいことで、5/30からは神戸のvivo,vabookstoreにて津田直さんの展示が。あと、笑顔がいい女性芸能人というときすぐ思い出すのはやはり新垣結衣さんと榮倉奈々さんだろうか。 諏訪哲史さんの「りすん」が出ているけれど、どうなんだろう。佐々木敦さんはかなりきびしい評価だったけど。近いうちに読んでみよう。西宮北口を17時30分くらいに出て、駅に向かって高架というのかなんというのか2階から駅へ直接つながっている通路を歩いていく途中に、若い男性ふたりが美容室の宣伝のチラシのようなものを配っていて、武富士ティッシュを配る、スーツを着て年からいうと課長とか部長でもおかしくないような中年男性は、私が無印とジュンク堂の入っているアクタ西宮に来るときにもいたのだけれど(ということはこのおじさんはずーっとティッシュを配りつづけているということだけれど)、配りポイントが5mほど駅よりになっていて、つまりアクタ西宮からは少し離れたということで、これは若い男性美容師(見習?)が来たからだろうか。

津田直展
「姿を消した舟に乗って」―作品集「漕」より―
2008年5月30(金)〜6月15日(日)
open11:30ーclose20:00
会期中無休
http://www.vivova.jp/vivovabookstore.html