昨日というか今日の朝方から朝にかけて、南伸坊「モンガイカンの美術館」に面白い一節があったなあ、たしか、私はコムズカシイ評論とかそういうのをバカにしてきたけれどモノを考える人は自分のモノの見方を変えるために必死でモノを考えていたのか!!、とかそういうようなことだったけれども、その一節を探してざーっと2回くらい流し読みしてみたけれどさっぱり見つからないので、それこそブックマークをしておくべきだと思い、ソーシャルブックマークがどうとかいうのはひとりずもうでぐるっとひとまわりして結局スタート地点に戻ってきてしまったので、とりあえず、バーバラ・M・スタフォード「ヴィジュアル・アナロジー―つなぐ技術としての人間意識」を買ってきたので読んでみることにして、ユクスキュル/クリサート「生物から見た世界」も平行して読むかもしれないしあとで読むかもしれないし、読んだからって何の得にもならないし、別に就職に役立つわけもなく、手に職がつくわけでもない。ここ1、2週間で、村山政二朗・江崎將史・木下和重「公開レコーディング」、Ftarri Festival京都、com+position 7、と三つの催しものに出かけたり出演したり出かけたりしたけれど、いまは眠いのでまた気が向いたら書く。書くことはたくさんある、ような気がする。今日はcom+position 7のあとで、Ftarri Festival京都での磯端さん木下さん私のトリオ、の私の行為に対する、江崎さん木下さんのご意見がとても興味深くて、いろいろ考えていたら、おふたりに逆に気を遣わせてしまってなんとも申し訳ないけれど、ぜんぜん凹むとか気にしているわけではなくて、おふたりのはなしがあまりに面白いので自分のなかに取り込もうとしているのです。思いきって転べば、それに見合った批判がある、というようなことを言いましたが、ここでいう「批判」っていうのは否定とか非難とか嫌いだ!とかそういう排除の意味ではなくて、鍛えて良くしていくような、先を見据えた生産的な意見・意志、検討を加えながら乗り越えていく意志、という意味です。江崎さん木下さんのご意見にはそれがあります。みんなで考えていこう、という意志も。