あさってからはじまる姫路菓子博にはぜひとも行きたい。いろんなお菓子を食べたい。今日は先日とれた右の奥歯の銀歯を、ジャーのなかで2日すごしたごはんをよそったしゃもじについたちょっと堅いお米を食べたらとれた右の奥歯の銀歯を、治療すべく歯医者さんへ。ここの歯医者さんはドアを開けて受付兼待合室に入るときに、ピンポンピンポーンとかドアについた鈴のチリンチリーンのかわりに、ドアについたセンサー+音楽を鳴らす機械から音楽が聞こえるのだけれど、あれ、音楽が変わってる!たしかサザンの曲だったはず!と思って、受付の女性に音楽変わりました?と聞いてみると、いえ、変わってませんよ、とのことで、ああ!と納得がいって、入るときと出るときで音楽が変わるのだ。入るときは私のよく知らない音楽で、出るときはサザンの曲で曲名は知らない。診察室というか処置室にあるイスとベッドのあいだみたいなのに座ると、先生が(髪を見ながら)さっぱりしたねー、と言っていて、最初なんのことやら分からなかったが、先生はどうやら私の髪がさっぱり、というか落ち着いているので、髪を切ったと思っていて、いやいや、髪が伸びてきてペタッと落ち着いているんですよー、よこの方の(側頭部の)髪は中途半端な長さだと落ち着かなくて、という説明。右の奥歯は銀歯の奥で虫歯があって、それで銀歯がとれたとのこと。帰り際にお借りしていた、前田嘉則「文学の救ひ―福田恒存の言説と行為と」を返す。この本を読んで福田恒存の面白さを教えてもらったので、そのあとすぐ福田恒存「人間・この劇的なるもの」を新潮文庫で発見したので読んだ。歯医者さんを出て、灘図書館へ向かう途中に宇仁管書店にて、東野芳明編「芸術のすすめ」を350円で。哲学の棚あたりを見ていたときに隣の人が携帯をいじっていたが、怒られていなかった。書店内での携帯使用を怒るのは気まぐれなのか?→http://d.hatena.ne.jp/k11/20070710 灘図書館では、書名も著者名も忘れてしまったが、数学思考がどうやらこうやらという本の、前半の理論の解説のところまで読む。数学が苦手な人向けなので分かりやすい。数学における、ある問題を抽象化することは、抽象するポイントを選び出すといったような一種の「解釈」だともいえるけれども、解釈における前提(仮説)が数学と数学をする人間の外にあるから、その根拠を問われないのかなと思う。いやいや違うな、ウェーバーのいう「理念型」とか「価値自由」っていうのが、数学のなかではすでに実現されていた、というか当たり前のことだった、いや、そもそも含まれていた、ということかもしれない。よく分からなくなってきたけれども。『日本を代表するアートディレクター20人が一堂に会し、アートディレクションの現在と未来を語ったトークイベント(2007年10月・国立新美術館)を完全書籍化!!』したという「アートディレクションの可能性」という本が面白そう。服部一成さんが表紙のデザインだったかディレクションだったかをしているけれど、相も変わらず妙な感じで、もちろんものすごく良い意味で、あくまで、別にかっこいいとは思えない微妙に居心地の悪いデザインがものすごく良いと思うのだけれど、シンプルなようでいてシンプルじゃないし、シンプルとかいっても、シンプルイズベストではなくて、シンプルイズベターなだけで、しかも逃げの一手としてのシンプルには何の価値もないだろうし、シンプルさがかえって過剰な装飾になってしまうこともあり得るだろうし、シンプルである必要のない内容をシンプルに表現してしまうと、それは欠如という名の過剰であって(といっても結局はイメージ戦略上の選択なのかもしれないし、「シンプル」もひとつのメッセージでしかない)、そういうときに、歴史的な積み重ねで形作られる「らしさ」という慣例・慣習が大きな意味を持ってくるんだと思って、ぜんぜん関係ないけれど、原研哉さんが「デザインのデザイン」で建築家の隈研吾さんを紹介する一節が、音楽家の木下和重さんにも当てはまるような気がずっとしていて、原研哉「デザインのデザイン」第二章「リ・デザイン―日常の二一世紀」隈研吾ゴキブリホイホイ、より

隈研吾は頭脳派の建築家である。しかし世の頭脳派と呼ばれる建築家がもっぱら自身の建築の解説に頭脳を使っているのとは一線を画する。どこにどんな頭脳を使っているかというと、建築という名目で立派すぎる造形を世界に示すことを「恥ずかしい」と感じ、そういう局面に良質のデリカシーを持ち込むことにたいして繊細で緻密な頭脳を使っている。つまり、モニュメンタルな建造物が権威を発生させてしまうという宿命や、個性的・耽美的な造形を建築を通して実現したいという欲望を、どう制御・抑制するかという点が、まさに今日の建築の質をはかるポイントであると考え、その点に非常に高い洗練を生み出そうとしている建築家なのである。

「建築」を「音楽」に置き換えてみるとそのまま木下和重さんの紹介になってしまわないだろうか、どうだろうか。あと、隈研吾さんの「負ける建築」もいま読んでいるけれど、とても面白くて、建築についてどうこうは言えないけれども(といっても、隈研吾さんが建築で考えていることは、現代のもろもろの一般的というか普遍的な問題なので、私にも理解できるし共有もできる)、とりあえず、いろんな方面の本を読むことで、意識がいろいろにひっぱられるのが、気持ちが良いというか楽しい。