9:45の伊丹空港行きバスに乗る予定をしていたけれど、それだとじゃっかんはやく着くので、東梅田で地下鉄を降りたあと、近所にブックファーストがあったなと思い、10:03くらいのに乗ることにして、寄る。新書のところで、おとといのさらに昨日か、ネットでチェックした、五十嵐太郎「現代建築に関する16章」をすこし立ち読みし、これも同じくネットでチェックしていたPHP新書の建築のやつ、カラーの図版を交えて実際の建築を解説、みたいなやつ、たしか住宅の。難波和彦 (著), 山代悟 (著), 東京大学建築デザイン研究室 (編集), 千葉学 (イラスト)「建築家は住宅で何を考えているのか」。とりあえず、「現代建築に関する16章」だけ買う。ひとまず(現代の)建築史をざっくり知りたい。歴史はたのしい。バスと飛行機で読む。父ちゃんが床屋に行っているあいだも。どこまで行ったっけ。「第6章 住宅建築――無意識の深層へ」まで行ったか。あと10章。空港には、春休みの?卒業旅行の?大学生らしき学生ふう多数。アクタスは11:00から開店。福岡の祇園で福一ラーメンやったか、そういう名前のラーメン屋のラーメン。猫はいま、パトロール中。ここ一週間くらいでなんとなく、ちょっと気付いたのは、作り手の視点しかない「なにかをつくること」と「誰かがつくったなにかをうけとること」が、嫌なのか。作り手の内面とか思想とかやりたいこととかそういう「なにか」を受け手もまた重視しているのは、いったいなんなのか。建築っていうのは、そういう意味で「作り手視点」に閉じこもることが、なかなか難しいものなので、ちょっと興味が。生身の身体で、住んだり利用したりするものなので、「使い勝手」(もちろん、受け手にとっての)はやはり重要になってくる。なので、「現代建築に関する16章」で紹介されていた、CGとかで作られたサイバーアーキテクチャーやったかな、そういう名前の、実体のない、物理的な制約を受けない、純粋に美学的・観念的な建築、っていうのは、ちょっとどうかとも思う。どうやろな。これはこれでなんかあるのかな。ああ、でも単純に仮想空間上の建築、っていうことなのか。それならそれで。あと、芸術、えーと、美術やら音楽やらもろもろ、において、志向される「開かれ」っていうのは、デモクラシー(民主主義・民主制)のことなのかもしれないと思う。と同時に必ずしもデモクラシーを志向しない「開かれ」もあるので、ややこしいけれども。結局は、貴族制を強化するために、「開かれ」が志向される、という事態もありうる。でも、芸術、というか、なにかをつくること一般(デザインにもあてはまるか)、について民主主義を志向するっていうのは、かなり難しいか、原理的に成り立たないかもしれない。責任の所在とか功名心の追求とか対話の不全(自己同一性をまもるための??)とか、いろいろややこしい人間の問題(性質?)がある。それに、ユニバーサル(普遍)っていうのは、一種の幻想でしかないかもしれなくて、なにかを実際に行うにあたり、なんらかの範囲を定めることは絶対にしないといけなくて、「範囲を定める」限り、その範囲からこぼれるものがある。「範囲がない」っていう範囲はありえない。ないようにみえて「ある」。