ついさっきまで関西テレビミュージャックという番組に木村カエラさんが出ていて、で、司会を関根麻里さんがやっていてもうひとりの司会の男性は知らないしどうでもいいのですが、今日の(この番組の)関根麻里さんはなにかしらひと味ちがうなあ、と思って、もちろんいい意味でですが、ちょっとミュージャックとググってみてサイトを見てみたら関根麻里さんではなく植村花菜さんという歌手の方で、あまりにそっくりでびっくりして、ちょっと前に思い付いた「宇多田ヒカル-関根麻里-井川遥-長澤まさみ」という繋がりを「宇多田ヒカル-植村花菜-関根麻里-井川遥-長澤まさみ」というふうに修正しようと思って、http://d.hatena.ne.jp/k11/20071111に対するどいさんのコメントにずっと返信しないままで、去年、返信を書いていたらどんどん関係ない方に流れていって、関係ないわけではないのですが、「表現」をすること・「表現」を受け取ることにひそむ排除の構図みたいなことになっていて、いちおうその書いていた文章はハードディスクが壊れてもバックアップから救出できたのでよかったのですが、いったんここでコメントに対してだけでも返信をしておこうと思って、まず追記1の具体例をとのことで、まずちょっと引用しておいて

<追記>もちろん上に書いたような「作品」づくりの意味合いというか解釈みたいなものは、コトが終わってから事後的に、これは一体なんだったのだろう、という感じでなされるもので、「解釈」は解釈の対象が先にないと成り立たないのと同じかなあと思います。まず解釈があってから対象を生み出すのは「解釈」といえるのでしょうか。となると、意味を先取りしてそれをあらかじめ念頭に置いてなされる「作品」づくりとは、(悪い意味ではなくて)一体どういうのもなのかなあと気になります。

これはなんでしょうねー、なにを言いたかったのでしょうか。といま考えていることそのものについて書いたともいえますが(笑)、なにかをカタチとして作る(表現)する前に、カタチにするべきなにかが頭にある、というふうに考えると、カタチにしたあとでそのカタチ自体を頭のなかのなにかに沿って修正することになるのですが(当たり前ですが)、このことについて考えるとき、人間の頭のなかの可能性と、なにかのカタチそれ自体が孕む可能性と、どちらが可能性の範囲が広いかなあ、とか思ってしまいます。うーん、具体例でしたね。なんでしょうかね。この前のパフォーマンスで私は風船と空気入れを使ったのですが、そのパフォーマンスの場の文脈はコンサートという「音楽」の場で、したがってもちろん解釈は「音楽」寄りになるのですが、私自身は特に解釈のための基盤(文脈)についてあまり考えていなくて、特に音楽ともそれ以外とも考えていなくて、たんに空気を入れて手を離したら風船は飛んでいくし、空気を入れ続けたら風船は割れるし、というくらいにしか考えていなくて、その程度にゆるく考えている方がいろいろなベクトルに解釈を伸ばすことができるからそうしていたのかもしれないです、いまになって思えば。あらかじめこういう文脈のもと、こういう効果を及ぼすものだ、と固定してなにかを作ったりやったりすると、どうしても作品や行為そのものもその囲いから出ないように思えます。囲いから出る可能性はあるのですが、それを無意識に作者が押しとどめてしまうというか。そういうことを<追記>1では言いたかったのかなあと思います。あと、「「自分の考えは他者への意識において常に一般的な文法で修正されている」っていうのは「自分の考えは他者を意識することで〜」という風に言い変えても問題ありませんか?」とのことなのですが、「他者への意識において」という言い方がどうかはさておき、「他者を意識することで〜」では意識するときと意識しないときがあるような気がするのでどうかなあと思いました。「自分」もひとりの他者であるから、とか言うつもりもないですが、意識していても無意識にでも「他者を気にすること」が完全に無くなることなんてあり得るのかなと思います。「話を戻してしまうかもしれませんが、そもそも、人が何か作品を作ろうと思うときってどんなきっかけなんだろうということも気になります。小田さんは作品を作るとき何かきっかけはあるんですか。」とのことですが、私も本当にそれ(だけ?)が気になります。みんな本当にものすごい情熱で大枠から細部まで詰めているのですごいなあというか尊敬しますし、いろんな人のいろんな作品を見るのが楽しいです。みんなはるかに私なんかより本気でやっていて、どういうきっかけなんでしょうね。私なんかはただ単に考えごとの土台として音楽やら美術やら音楽やら美術やらなんやらかんやらに乗っかっている(寄生?)だけなので、いわゆるちゃんとした「作品」を作ることって全然ないです。だからたぶん私は「なにかつくる人」ではないです。あくまで考えごとがメインなので何かカタチになることをやったとしても、その考えごとのためのスケッチとかメモみたいなもので、あまり記録に残そうとも思いません。(ただめんどくさいだけですが)そしてそのスケッチやメモを元に考えごとをまたしていきます。(とはいっても考えたい考えごとと実際に為されたスケッチやメモはなかなか関係を持ちづらいです)だから別にデモテープとかポートフォリオを作ったりとかもしないし、CDとか作品集を作りたいとも思いません。というよりもそもそもそのようなメディアに入れるコンテンツ(の蓄積)自体がないんですよね。。だからなにかやるとしても、ライブやりませんか、とか、コンピレーション作るので参加しませんか、とか、音と言葉をめぐる批評紙になにか書いてみませんか、などなどそのような依頼が来て初めてそのメディアで何をしようかなあと考えます。そのような依頼をくださる方がほんの少しですがいらっしゃって、とてもありがたいと思っています。そういう依頼がないと特に何もしないので。(笑)ふだん私がしていることといえば、なにか楽しいことがないか周りを見てみることといろんな考えごとと本を読むこととコーヒーを飲むことと自転車でうろうろしてみることと古本屋を訪ねることくらいでしょうか。ではでは、なんだか長文になってしまいましたがぼちぼち読んでみてください。