yomayomaさんの「女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ」2008-03-08■[考えるのの](http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20080308/p1)で、「価値」について語られていて、

まずもって批評理論、学問的なそれらなどと関係してくるだろうけれど、全てに介在的であると考えられる制約や制度などへのセンシティブや、対象に対象的である事に関する方法論の積極的な純化などがあったりして、想像に難くないのは、それらに関する知識は莫大なものであり、反対にそれらに対する受容する側の人間(その知性などの可能性)はとても限定的なものであるということ。

という問題が確認されたあとで、やりとりの立脚点を「知識」ではなくそれよりももっと漠然とした「知恵」に置いてみるのは?ということだと私は理解して、私もいまのところそういう方法しかないような気がしていて、すこし具体的な例になってしまうけれど、引用とかオマージュとかそういうのは元ネタを知らなかったら(知識がなかったら)どうしようもない(とされている?)わけで、知らないから騙されるということもあろうし、知らないということを知ってしまったが故に理解できない(と思ってしまう)こともあろうし(まあ、元ネタがどうあれそれ自体で理解しようとしたらいいだけだとも思うけれど)、こういう事情があるから、生産と消費のサイクルのフィールドが、カテゴリー、ジャンルごとにものすごく小さい範囲(面積)になってしまうのかなあと思ったりもしていて、といま書いてきて、たぶんこういうのの元凶は、作品なりなんなりなんでもいいけれど、あるなにかの対象が依って立つ前提を知らなければそれを理解することができない、という思い込みのような気がして、なぜそれが生じるかといえば、作品なりなんなりなんでもいいけれど、あるなにかの対象を理解しようとすれば、その対象が「なぜ」作られたかを理解しなければならない、という思い込みがあるからで、つまり、その対象そのものを理解するのではなく、その対象が作られた「理由」またはそれが存在しなければならない「必然性」を理解することが、作品なりなんなりなんでもいいけれど、あるなにかの対象を理解する方法であるということになっている、という思い込みのような気がして、これはなんというか言語(活動)的なものごとの理解の仕方というか、誰かと誰かの会話においては、発話された言葉それ自体が問題なのではなくて、それを発した相手の意図が重要なわけで、意図の交換が重要なわけで、といっても、ある芸術作品を体験するときにこのモデルで思考していいのかしら、ということで、作品の意図なり意味なり価値なりを作品の依って立つ前提に求める、さらにその前提の(選択の?)根拠を作者に求めてしまう限り、どう頑張ったところで作品が作者と同じサイズにしかならなくて(ほとんどのケースでは作者より作品が小さくなるし)、最終的には、ものすごく効率の悪い、作者と観客の会話「のようなもの」になってしまうということになるのかしら、と。あといままでのこととは関係ないけれど、引用したyomayomaさんのエントリへ「もういいじゃん」さんという方から「オマエ頭悪いんじゃね?抽象的な言葉の羅列は、何も言ってないのと同じ。ひくわー。」というコメントが寄せられていて、こういうかたちの反発や嫌悪はたくさんあるのだと思うけれど、嫌悪したり罵ったりするまえに、自分がなぜそれを嫌悪するのかを考えてみたら面白いと思うし、「頭の良い人は知識ばかり貯め込むだけで、言うことは意味不明じゃないか!」という反発や嫌悪もあると思うけれど、頭が良いとか悪いとかいうよりも、考えるか考えないか、いや違うなあ、考え「ようとするか」考え「ようとしないか」、または、知「ろうとするか」知「ろうとしないか」の違いだけであって、ひいては、自分というひとつの輪郭がどのように歪んでいるか、知り「たいと思うか」知り「たいと思わないか」の違いのような気がするし、こういう反発や嫌悪は、「意識の違い」と「知能の違い」を混同したうえで、頭の良し悪しなんて抽象的な区別をあたかも知能の問題のようにいうことで、自分の向上心のなさや不勉強を隠して、開き直るようなものかもしれないと思うけれど、どうだろうかそうでもないだろうか。考える人はみんな自分の思い込みにビクビクしながらそれでもなんとか頑張って考えていると思うのだけれど。<追記>ああ、いやいや、こういう反感や嫌悪を、ねたみそねみみたいなものとか開き直りのようなもの、つまり個々のなにかしらの欲望に根ざすものとして考えることも、ひとつの反省の方法としては有効かもしれないけれど、どっちかといえば、対話の場における力関係のことなのかもしれなくて、対話の場で「知っている」と「知らない」では立場の力に差が出てしまう、ということで、さっき書いた反感や嫌悪はここからくるんじゃなかろうか、といいつつも、そういう権力性への違和感とともに自尊心の云々(ねたみそねみとか?)もぐちゃぐちゃに絡まりあって関わっているとは思う。だからいったん分離した方がいいだろうし、昨日ねるまえに読んだ中山元「思考の用語辞典」の「ディスクール」の項がちょうどこういう話だったから、こういうふうに考えられたというわけで、フーコーハーバーマスを対比していて、私は「ディスクール」がどういう意味かはよく知らないけれども、なんとなく、対話の場とか対話することそのもの、みたいな感じかしらと思っていて、中山元「思考の用語辞典」「ディスクール」の項より

フーコーはいう。ディスクールはたんに支配のシステムを表現するものではない。人々がもとめ、手にいれようとしてあらそうものだと。すべてのディスクールは力と欲望の対象だ。すべての文章、すべての表現に、無意識のような欲望の政治学がはたらいている。これを指摘した彼の功績は大きい。自分の表現にしたたる政治性、無意識的な抑圧や排除、差別の構図について、十分に意識しない語り手が多すぎないか?いや、ぼくだってそうなのかもしれない。でもそうでありたくない。 さて、ちがう考えかたにもふれておこう。たとえばハーバーマス。かれはディスクールの権力性についてはほとんど気にとめない。ディスクールは話し手と話し手がたがいに合意を築くための場で、ここから権力性を抜きさることはできると考えるんだ。たがいに理性的な主体が、民主的な討議の場において意見をだしあえば、最善の合意がえられるという理念だ。<中略>フーコーはこの「理想的な対話状況」は幻想だと考える。かれの目にハーバーマスは、民主的な制度と道徳に安易によりかかっているようにみえるのだ。フーコーは提案する。ディスクールが権力の場なのをまず認識しよう。そのうえで、ディスクールを無菌化するのではなく(その権力性を意識したうえで)つくりかえる。ディスクールで関係の場そのものを動かし、揺るがせ、対話の相手を動揺させ、みずからも変身していくゲームのようなものにする。権力のゲームだ。

ディスクールで関係の場そのものを動かし、揺るがせ、対話の相手を動揺させ、みずからも変身していくゲームのようなものにする。」


おお、そうだそうだ、この前お会いした山崎伸也さんからこういう催しがあることを教えてもらったので、行こうかしら、と。

第十一回視聴覚文化研究会 http://avcs.web.fc2.com/
〜卒論修論発表会〜


日時:2008年3月15日(土)〜17日(月)、11:00〜16:30
会場:同志社大学今出川キャンパス)弘風館三階 K35 番教室


3月15日(土)
オノ・ヨーコの1962年 ――インストラクション作品を巡って――」
はが美智子(同志社大学)11:00〜12:00
「収集家としての芸術家――コーネルのボックス作品における〈記憶〉の問題をめぐって――」
太田賢佑(関西学院大学大学院)13:00〜14:00
「女性美の近代化――化粧と美容の観点から――」
小出治都子(立命館大学大学院)14:15〜15:15
「変容する演奏概念――「ラップトップの操作」という「演奏」――」
原島大輔(京都大学)15:30〜16:30


3月16日(日)
中村不折のパリ留学時代――≪龍眠帖≫への一道程――」
南出みゆき(神戸大学大学院)11:00〜12:00
長澤蘆雪筆《黒白図屏風》の妙計――構想と布置に見る儒教的な共存思想――」
瀧野彩子(同志社大学大学院)13:00〜14:00
「「ドイツ写真」の誕生――「ベッヒャー派」についての一考察」
鈴木恒平(神戸大学大学院)14:15〜15:15
「写真による挿絵――世紀転換期フランスの新聞・雑誌メディア」
増田展大(神戸大学大学院)15:30〜16:30


3月17日(月)
デリダのパレルゴン論におけるエステティックな視覚」
渡辺 和貴(京都大学大学院)11:00〜12:00
「〈Jポップ〉における〈パクリ〉をめぐる言説について」
竹村輝之(京都大学)13:00〜14:00
「恩田晃《カセット・メモリーズ》研究」
山崎伸也(神戸大学大学院)14:15〜15:15
「撮影者」のための技術――デジタル写真までの写真技術の発達と撮影の変容について――」
川本健二(神戸大学大学院)15:30〜16:30


あとは、ちょっとだけお手伝いする催しが来週末に。プロとして表現を生業にしているわけではないけれど、様々な表現をおこなっている人たちがたくさん出演なさるのだけれど、なんというかほんとうにいろんな人がいて、文字どおり、世の中にはいろんな人がいるな!という発見があるはず。「自分の見たいものしか見たくない」「(自分が)価値があると思えるものしか見たくない」という人には楽しめないかもしれないけれど。

オープンKAVC2008「かぶっく・オン・ステージ」
3月22日(土)ー 23日(日)[入場無料]
神戸アートビレッジセンター(http://kavc.or.jp/)
年に一度のビッグステージ!KAVCのレンタルスペースをご利用いただいている団体(20組+ゲスト2組)が2日間入れ替わりで発表します。映画・演劇・ダンス・ミュージカル・バンド演奏などなど、持ち時間30分で繰り広げられる様々な舞台表現をお楽しみ下さい
http://kavc.or.jp/apf/openkavc2008/