今度のバスは昼バスにしたので、18時開場に間に合うように銀座に辿り着くためには、6時出発の昼バスしかなくて、昼バスというより朝バスという感じであるけれど、二階建てのバスの一階で、そもそも私は二階建てバスの二階に座ったことも行ったこともなく、一階のいちばん前の左側にあるふたつの座席の窓側で、私がバスに乗り込んだときにはすでに通路側に深く帽子をかぶった若いっぽい女性が座っていて、あ、すいません、とみちをあけてもらって座席に座ると、すぐにその女性がバスの乗り口で乗客のチェックとかカウントとかしている運転手に、となりに男性が来たんですけど、いや、ちょっとまだキャンセルとか分からないのでとりあえずいまの席に座っていてください、ワンちゃんのケージとかはないんですか、とかはなしていて、なんかその歓迎されない感じが面白くてちょっと笑ってしまったが、この運転手とはさっき、荷物(ゴロゴロ)お願いします、あ、そこの踊り場のところに置いてください、あ、お客様、寝かせて置いていただいていいですか、という会話を交わしていて、ワンちゃんのケージ?と思って、しばらくして戻ってきた隣の女性の方を車が走り出してから極力刺激しないようにちらっと見てみたら、小型犬をだっこしながら乗っていて、どっか岐阜のあたりで休憩したときには大きめの布のトートバッグに入れてバスを降りて散歩させたりしていたが、その前の京都駅で最後の乗客が乗ってきたあとに、その女性はひとつうしろの席に移ったので、私も広々と座れてよかったし、岐阜のあたりでは大雪でちょっとスピードが落ちていたりして、雪の影響でイベントに間に合わない、というのもそれはそれで起きたら面白いなあ、と思っていたけれど、しばらくしたら雪は止んで、昼くらいに浜名湖サービスエリアに着いたときにはいい天気になって、浜名湖サービスエリアのトイレは浜名湖側に大きな窓があって、浜名湖がよく見えるので上機嫌になり、スタバがあることに驚きつつちょっと混んでそうなので、売店のちょっときれいなパン屋でなんかこう薄い生地でウインナーを包んだみたいなやつとメロンパンと午後の紅茶のミルクティーを買って、バスのなかで食べ始めるけれど、この薄い生地でウインナーを包んだみたいなやつはチリ味でちょっと辛くて、バスの外で食べたほうが匂いがしなくてよかったかもしれないと思って、すこし食べてはふくろに戻し、すこし食べてはふくろに戻し、といういわゆるヒットアンドアウェイ方式で食べて、30分遅れで着いた新宿にて平間君と合流し、といっても、この前見送ってもらったJRじゃないバスの乗り降りに使われている新宿西口ロータリーに近い小田急の前で待ってくれていて、おお、ちゃんと言っておけばよかった、悪いことをしたと思いつつ、行き方がいまひとつ分からないので、通ったことのあるルート、フラッグスの前を通ってアルタのほうに行き、高架下を通ってさらに南下するというふうに歩いて、小田急のまえで合流し、髪が短いので誰だか分からなかった、とのことで、ちょっと歩いて地下鉄なに線だか忘れたが地下鉄に乗り、東京はけっこう暖かく、ジャンパーだかジャンバーだかいまだによく分からないが上着を脱ぎ、たぶんジャンバーだと思うけれど、と書いて不安になって検索してみたらジャンパーで、ブルゾンと同義、とのことで、電車は銀座へ向かって進みだして、ギャラリー悠玄に着いて、大島さん、木村さん、寺松さん、を紹介してもらい、展示をひとしきりみて、大島さんの作品はとてもでかくて、たぶん大塚さんという女性の方の作品だと思うのだけれど、中二階にある作品はなんだかコンセプチュアルっぽい佇まいでそのコンセプチュアルっぽい見た目にちょっと反応してしまうけれども、その意味はよく分からなかったし、そもそも作者の意図はどうあれコンセプチュアルっぽい見た目に見えてしまうことはどうなんだろう、コンセプチュアルっぽい見た目に見てしまうことはどうなんだろう、とも思ってしまって、反省とともに疑問もあるけれど、地下に設置してあった、木村さんの作品は、無線で映像データを送る防犯カメラが捉えた室内の様子をなにかエフェクトというかリアルタイムにハードウェアで(コンピュータでなく)加工してそれをプロジェクションして音はトランスミッターでラジオに送っているようで、床に置かれた防犯カメラの前に立って電波を妨害すると(カメラへアップで映りこむと?)、しだいに映像がノイズまみれになりそれとともに音もザッザーという感じになりかっこいいが、これはたぶん正規の使い方ではなくて、この作品で正直もったいないなあと思ったのは、投影されている防犯カメラからの映像がスクリーン上にたくさん並んだり動いたり重なったりと意図のあるようなないような、ハードウェアの機能に依存していると思われる加工(編集?)がなされていることで、これがあることでかえってなんだか見ている私に迷いが生じてしまって、システムのプロセスの美的感覚の側面(映像の加工)の作品なのか、「防犯カメラ」というところに意味のある作品なのか、それともシステムに内在するエラー、つまり、カメラから得られた情報を無線で飛ばしているから室内を歩く人による障害も蒙る、という作品なのか、と考えてしまって、でもたぶん作者としては一番最初の、システムのプロセスの美的感覚の側面(映像の加工)の作品に「リアルタイム」という要素をひとつ足してみた、ということだと思うけれど、それならまだやりようがある気もするし、とか思ってしまうのは、床に置かれた防犯カメラの前に立って電波を妨害すると(カメラへアップで映りこむと?)、しだいに映像がノイズまみれになりそれとともに音もザッザーという感じになるのがとても楽しかったからで、ほんとにつくづく思うのだけれど、なにかの「もの」に「こと」を落とし込むのは難しくて、時間的な変化のある映像とか音とかだとさらにかえって難しい、というのは私も実感を持って理解できるので、難しいなあと常々おもうけれど、そして寺松さんの作品はいろんな立体が二階に展示してあって、さっきいただいたきょう焼いたというバナナパンもその一部になっていたりして、たしかそのへんで拾ったものから作っているようで、平間君の作品はドローイングが大量とあれはなんだろう、たぶんなにか写真がらみのやつ、しろっぽい紙がランダムに壁に貼付けてあって、それが貼ってある壁のまえに机というかボックスがいくつかあって、そのひとつにスタバかなんかのコーヒーのカップが無造作に置いてあって、たぶん誰かが置いていったものだと思うけれど、しろっぽい紙はなにか取れやすい糊というか紙粘土のようなもので壁に貼ってあるらしく、ランダムにバラバラに貼ってあるように見えるが、たくさん貼ってあったのが次第に取れて(落ちて)こうなっているらしく、なんかそういうのもありだよなあと思い、ドローイングがひとつ売れたらしく、いいことだし、たしかになにかしら平間君のドローイングは惹かれるものがあるが、次の日、2/16(土)はたしか、どこか行った、どこだったか、ああ、直嶋君と月島に行って、うろうろして、駄菓子屋の前のガチャガチャでポッピンアイを買って、長い橋を渡って海の方を目指すが結果的には埋め立て地の方に歩いていくことになって、ゆりかもめの線路のあたりで左折して、遠くに見えるショッピングモールのようなものの方へ歩いて行き、途中にあった図書館でトイレ休憩をして、直嶋君はショッピングモールが嫌いらしく、たぶん現代的で小綺麗な感じが嫌いなのだと思うけれど、そのショッピングモールのよこを通るときにあるお店に「カリモク」という文字が見えたのでちょっと行ってみるとカリモクのお店で、ひとしきり見ているあいだ直嶋君は入り口あたりでメールしていて、ほんとにショッピングモールが嫌いなのかしら、と面白くて、やっぱり「嫌いなもの」にその人の凸凹が現われるし、そういうのをじっくり見てみることが大切だと思うし、ゆりかもめの線路のあたりで左折したあたりから、「暴力で支配する」という言い方が私たちのあいだで流行っていて、昨日から言っていたような気もするが、公園で遊ぶ子供達や親達を見て、この公園を「暴力で支配する」とか言ってみたりして、暴力で支配っていったいなんなのだろうか、ちょっと面白いと思うのは暴力で支配されたことがないからかもしれないが、広い意味での暴力での支配なら多かれ少なかれみんなあるだろうし、ぐるっと回って月島に戻る途中に河口に立っている廃線の線路があったりして、月島では、もつ煮を食べて、飲み物を売らないから飲み物は持ち込みしないといけないもつ煮屋さんで串に刺さったもつ煮を食べて、牛ふわってのが美味しくて、月島にはもんじゃ案内所みたいなのがあって、地下鉄に乗ってたぶんそのまま直嶋君のうちに帰ったはず、そして銭湯に行ったはず、で、直嶋君ちではMattin / 宇波拓「Attention」のはなしをいろいろ聞かせてもらい、それはもっぱら「Attention」ライブのはなしだが、CDも聞かせてもらい、言語でもってこっちに積極的に関わってくる(絡んでくる、ともいう)のが興味深いなあと思って、その次の日、2/17(日)は15時くらいまで寝たりダラダラしていて、16時半くらいに今日お世話になる平間君と合流して荷物を置かせてもらい、仕事に行く平間君と別れ、電車を乗り継いで直嶋君と地下鉄大江戸線六本木駅へ辿り着く、ミッドタウンへの地下道あたりの案内板を見ているところで直嶋君にKさんから電話があり、向かっているようで、無印でブラブラして待って合流して、ああ、そういえば、昨日は月島からの帰りに有楽町に寄って、どうして寄ったのかは思い出せないが、有楽町の無印にも行ったことを思い出して、有楽町の無印もミッドタウンの無印も大きかったし、ミッドタウンのなかには竹が生えていたし、有楽町の無印ではMUJILABOの黄緑色のカーディガンが2000円だったので欲しかったが、必要ないといえば必要ないのでひとしきり悩んでからやめて、ミッドタウンの通路は広々してていいと思うし、ミッドタウンでは、in Touch、TIME & STYLE MIDTOWN、富士ゼロックスアートスペース、IDEE SHOP/IDEE CAFE PARC、あたりを三人でうろつき、いちおう目的はTIME & STYLEのドローイング展、富士ゼロックスアートスペースの第2回多層系展「豊嶋康子の多層系──〈マークシート〉から〈輪郭〉まで」のふたつで、そのあとイデーのカフェで、ヨーロッパのセレブも嗜むという大麦を焙煎して作ったノンカフェイン・オーガニックドリンク、大麦コーヒーというものを飲むが、あまり美味しくもなく、外のテラスが意外にあったかいのは、屋外用のストーブがあるからというより、屋内のあたたかい空気がすごい勢いで外へと吹き出しているからで、といっても、ちょうどよい頃合いに水を持ってきてくれたり、コーヒーカップがなんかiittalaのteemaマグ250mlをちょっとだけおっきくしたみたいなので、いまうちにあるteemaマグ250mlの黄色いのよりちょっとだけ容量が大きい感じで、teemaの250mlというのは少し少ないかなと思っているので、ちょうどいいサイズ感だけれども、その素性はよく分からないままだし、HIMAAがグラフィックをてがけたHIMAA 519 アラビアマグも欲しいし、そういやいま中津のパンタロンで、塩川いづみ、のりたけ、服部あさ美、HIMAA「Aurora」というドローイング展がやっているので、これはどうしても見たいと思うが、TIME & STYLEのドローイング展は、ソファに座ったりうろうろしたりしながらみてみて、紫牟田和俊さんのなにかの太陽のようなものとなにかの建物との関係らしきものについてのドローイングが面白く、よくある意味においてではないけれど、動きがあって、それは思考の動きなのかなんなのかは分からないし、末永史尚さんの作品もみたし(なんだか「率直」というかストレートな感じがして、良い意味で他の作品からは浮いているように思えて、「パターン」のような、「パターン」じゃないような、感じだからだろうか、「形」のような、「形」じゃないような、感じだからだろうか)、たくさん面白い作品があって、またじっくりと見たい展示なのだけれど、会期中に東京に行くことはないだろうし、それが残念でならなくて、「豊嶋康子の多層系」展も、古本屋で買ったむかしの美術手帖で豊嶋康子さんを見てから気になっていてたまたまだけれど見れてよかったし、この人の作品はとにかくもう面白いのでここでどうこういうよりも豊嶋康子さんのサイトを見てもらった方が早いようにも思うのでアドレスをはっつけてそれでよしとすることにして、といっても、とりわけ「発火法」という作品が面白くて、「 発火法 Makig Fire (2006-) 」という作品名の2006-、2006年から、というのが面白くて、あたかも2006年からずっと発火させ続けているみたいだし、アドレスはhttp://www.toyoshimayasuko.com/で、あとは「通知表」も面白いし、なんだろうか、痕跡をもてあそぶというか行為をもてあそぶみたいな、関係ないけれど、高柳恵里さんの作品をまた見たいなあ、移転前の国立国際美術館でやった個展の図録を買っておけばよかった、いや、図録なんてあったかな、どうだったか、とたったいま自分の家のリビングでibookを前にして考えつつ、ミッドタウンをあとにして、高円寺で平間君も合流し、この前いったタイ料理屋に行くも閉まっていたのでその近所のタイというか多国籍というのかいろいろな国の料理がある料理屋に行き、ナシゴレンとかでかい生春巻とか食し、ナシゴレンに自家製ナンプラーをいっぱいかけて塩辛くして食べてみたりし、ふと現われた虫にみんなで感情移入してみたり、あーやばい、もう5000字を超えてしまって、ダラダラ書いているからこうなるのか、たぶんはなすように書いているからで、これはもうはなしを聞くように読んでもらわないと、あとこれは私の東京行きのはなしであって、ライブのレポートなんかではなくて、そういうつもりで読むと面白くないかもしれないし、かといって、私の東京行きのはなしだけを読もうと思っても面白くないかもしれなくて、ちゃんとライブというかパフォーマンスについてもこのあとありますので、といっても今日はこのくらいでやめておくことにして、明日になり、昨日からみれば明日の今日は3/7(金)で、実をいうともう日付が変わって3/8(土)で、ある日からある日への移り変わりで思い出すのが、ドラクエの宿屋に泊まったときに画面がまっくらになってテレレレレッテッテー、という音楽が鳴ることで、今日、3/7(金)は、梅田のかっぱ横町のなかの名前は忘れたが梁山泊のとなりのシュルレアリスム関係のとかわりあい充実している古本屋にいるときに外から、梁山泊はまけないからなあー、と聞こえてきたその梁山泊で、中村雄二郎「共通感覚論」を300円で買い、これはたぶん岩波現代文庫に入るまえのかしらと思うが、中村雄二郎さんの名前は中学だか高校だかから知っていて、国語のテストの問題にたまに出てきて、誰か知らんけどこの人のいうことは面白いなあ、と思っていたからで、文庫版には木村敏さんの解説がついていて、もちろん今日買ったのにそれはついていないが、なんか聴いたことあるな、これ、と思っていたら、梁山泊ではマイルスのカインドオブブルーがかかっていて、そのあと中津のパンタロンで、塩川いづみ、のりたけ、服部あさ美、HIMAA「Aurora」というドローイング展をみて、とてもとても面白く、みんなちょっとの「線」からいろんなことを起こ、とここまでがバックアップに残っていたデータで、たぶん書きあがってからidiskにアップしてなかったんだろうなあ、と思って、非常にもう面倒くさいとしかいえなくて、といってもしょうがないので繋げることにして、しているなあ、それぞれの「作品」はそれ自体で完結してはいるけれども、そこからいろんなものへと繋がりがあるように見えて、「借景」とかいうとかえって変にキーワードとして分かりやすかったりしてよくないような気もするし、とにもかくにもおすすめだということで、パンタロンに入ってすぐリュックをイスに置いてもらいながら、最初に気になったのはそこにあったイスで、パンタロンの方にきくと、ミカドチェアというイスらしく、ちょっとgoogle検索中…、でた、Foersom & Hiort Lorenzen「MIKADO Arm Chair」というらしく、ひじ掛けが小皿みたいな丸い木の板状のもので、ちゃんとひじを乗せれるのかなという感じだけれど、絶妙な位置と高さについており、座ってひじを置くと、ちょうどひじで隠れて見えなくなるからか、置いているのに置いていないような感じがするし、ぜんたいとして、パッと見の奇抜さとは反対に座ったときのホールド感がいいというか、やわらかく包まれるような座り心地で、これいいですねー、とパンタロンスタッフの方ふたりとひとしきりはなして、そのあと、「Aurora」展のまえに展示をしていた岡田一郎さんのはなしなどしていると、私がやっていることのはなしになって、バブとか風船膨らましとか風船割りとか面白がって聞いてもらえたのは、それがなにより「分かりやすい」からだと信じたいし、そういう「分かりやすさ」というか普遍性のようなものは岡田さんも意識されているとのことで、「Aurora」展の作品集も買って、展示をひとおり見終わってパラパラとめくっていたこの作品集の最後のあたりのページには4人それぞれのサインがあって、たしかサイン入りは限定20部か30部らしくて、よし買おうと思って、さっきパラパラとめくっていたやつのひとつしたのを持ってこれを…とスタッフの方にお渡しして、家に帰る途中にちょっと嫌な予感がしたのは、さっきパラパラとめくったのにはサインがあったけれどもそのひとつしたのにはあったかどうかなんて確認してないぞ、ということで、家に着いてから確認してみたところ、最後のあたりのページにはなくて、思わず、えええ、と声を漏らしてしまい、すぐに最初のあたりのページに4人のサインらしきものを見つけたが、それが印刷じゃないかどうかライトの灯りですかしてみたりしてみて、そのサインのあるページの次のページにうすくHIMAAという跡が残っていてほっとした、という器の小ささよ、2/15(金)の演奏会というのかイベントというのかそういうのは18時会場で18時10分開演だったのだけれど、たしか始まったのは15分か20分くらいで、吉田君に似たひとがいたけれど吉田君じゃなくて、しまだがまた来てくれて、きんじょうは仕事で来れなくて、Kさんも来てくれて、川口君のおともだちも来てくれて、神田君も仕事帰りに途中から来てくれて、18時の開場と共に入ってきたぜんぜん誰の知り合いでもないような若い男性がひとりいて、ダウンジャケットを脱いでイスに座って待っていらっしゃったのだけれど、10分過ぎたくらいで、おもむろにダウンジャケットを着て上に上がって行ったので(会場はギャラリーの地下スペース)、何事かと思っていたら、もう帰るからお金を返してください、いやもう始まりますよ、観客が少ないライブは良くないから、というようなやりとりがあったとのことで、平間君と面白いねえ、というはなしをあとでして、なんというか、わざわざ来たにも関わらずなんにも見ずに帰る、というのもものすごくエネルギーを使うことで、その自分の信念にどこまでも忠実なのがすごいなあ、面白いなあと思って、といってもその反面、こういう人は、自分の信念というせまい範囲から決して出てこない人なんだろうなあ、とも思うが、なによりも、観客が少ないライブは良くない、ということが、人々に求められていないものには価値がない、ということなのか、友達しか見に来ないような内輪のりのものには価値がない、ということなのか(同じ気もするけど)、もうすこし主張をはっきりさせていって欲しかったが、まあでも確かに誰とも知り合いじゃなければ、はなしもできないし、待っているあいだ居心地は悪いだろうけれど、別にそんなの気にしなければ済むだけだし、私も(一般的にみて)人の入らないライブにひとりで行ってひとりで帰ったりしていたし、それが嫌ならはなしかけたりして知り合いになってしまえばよいわけで、そしてはなしかけるのが嫌ならむかしの私みたいに開演ギリギリに行ってライブだけ見てささっと帰ればよいわけで、やっぱりどうしてもなにかしらの忍耐は必要になってしまうわけで、とか考えているとこの人の考えをちゃんと聞いてみたらぜったい面白いのになあ、という気持ちになってくるが、開演前には、会場の照明のスイッチの場所を調べたり照明を消して暗くしてみたり、テーブルにミキサーを置いて調整したり、アンプにエフェクターを繋いてマイクチェックをしていたり、とか各々準備をしながら会場全体の準備もしつつ、開場まえに平間君、直嶋君、私、川口君という順番にみんなで決めて、平間君は自分は一番がいいかもしれない、ということで、そしたら最後は川口先生に締めてもらう、ということにして、平間君は壁というか会場の地下スペースなかほどの柱に紙粘土みたいなのであのお汁とかカレーとかをよそうやつ、あれなんだったか、と書いてみるのは一回書き上げたときにこう書いていたからで、このあとgoogle検索中…となるのだが、いまはもう検索しなくとも分かっていて、おたまを紙粘土みたいなので壁にくっつけて、床に置いたマイク(たしか、細かい部分はあまり見てない)からケーブルはコンパクトエフェクターに繋がって、最後はアンプに繋がっていて、平間君がおたまを紙粘土みたいなので壁にくっつけて、録音再生できるテープレコーダーからなにかのラジオ番組を録音してカセットを再生したところからもう始まっていて、私たちはカセットに録音されたなにかのラジオ番組を聞きながらなにかを(終わりを?)待つわけだけれども、たぶんみんな内容なんか聞いていなくて、なんというか空間の(意識の?もしくは意味の?)スキマ埋めを、カセットに録音されたなにかのラジオ番組を聞くことでしているだけで、なにかの仕事場に流れる聞き流されるためのFMなんとかのラジオ番組みたいで、カセットに録音されたなにかのラジオ番組の再生がなかったらまたぜんぜん違うものになっていただろうなあ、とカセットに録音されたなにかのラジオ番組を聞きながら空間の(意識の?もしくは意味の?)スキマ埋めをしながら思っていて、そうこうしているうちにずーっと時間は過ぎていって、ガラーンとおたまが床に落ちて終了して、落ちる音をマイクで拾ってコンパクトエフェクターでディレイをかけてアンプで出力しようとしていたみたいだけれど、そんなにエフェクトもかからず増幅もされてなかった感じで、ひどくディレイがかかって音量も大きければ、ガララーン、ララーン、ラーン、ラン、ンみたいになって、それはそれでバカバカしくていいけれど、これだとバカバカしさのベクトルがちょっと変わるので、この辺は難しいところだけれど、今回はたしかにあんまりかかってない方がベストではないにしろベターだったような気もするし、直嶋君は会場奥のテーブルにいつものヴィンテージのミキサーを置いてそのとなりにベリンガーのミキサーを置いていて、ヴィンテージのミキサーは壊れたとのことだったので、直ったの?と聞くと、いや直ってない、けど、これを会場まで持ってくることが大切な気がして、とのことで、言っていることはなんとなく分かって、自分のかたちを崩さないことは大事だし、私なんかはなにやっても自分のかたちなんかないよ…という自分のかたちを崩さないのが大事なわけで、なぜか床に置いてあった(直嶋君が置いた?)空き缶の上に置いたトランプくらいのサイズの黒いカードの上に置いたイヤホンからシーとひとつ音を出して(ミキサーのつまみをいじって)、手に持った黒いカードを一枚ペラッと床に落として、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、と続いていき、途中で一回だけ手が滑ったのかドサッと束で落としてしまって拾ったりしていたが、2/16(土)に月島へ行ったときに、埋め立て地に行ってそこからまた月島から帰ってくる途中の小さい橋のあたりで、直嶋君とはなしたことがあって、(見ている人の)意識がなにかひとつに集中し過ぎないようにすることになんかありそうだということで、あとはひとつのパフォーマンス(演奏)のなかでの複数の要素のあいだの関係というかコンビネーションにもなにかありそうだということで、このときの直嶋君の演奏の、シー(ミキサーのつまみをいじる)、ペラッ(黒いカードを床に落とす)、にはそういうのを感じて、意見交換ができてよかったし、要素はふたつよりもみっつあると気の散り方の幅が広がるかもなあ、というようなはなしもして、どっちにしろ、パフォーマンス(演奏)であるのなら、音だけじゃない要素がどうしても入り込んでくるわけだし、そういうのも意識的に使った方がいいよね、というのが私たちみんなに共通することかもしれなくて、私の番がやってきて、直嶋君の演奏時に会場奥のテーブルを半円形状に囲んで座ってもらった観客のみなさんのだいたいの座り位置(イスの位置)はそのままに、そのイスよりさらに低いイスを4つ適切な位置にガタゴトと並べていて、適切な位置というと、コーナン灘大石川店でひとつ840円くらいで買った4つの屋内用のセンサーライト(センサーの範囲内に人が入ると、熱を発する動くものがあると、パッと、というよりボヤッとLEDライトが点くというあれ)のセンサーの範囲が私を含めそこにいるすべての人に及ぶような位置ということで、ガタゴトとイスの配置をしているときにふと、こういうふうにイスを並べているというだけのパフォーマンスというのもありかもなあ、と思って、川口君の方を見ながら、といっても川口君を見ているわけではなく川口君のあたりを見ながら、こういう(イスをガタゴト動かし回る)パフォーマンスじゃないっすよ、とついつい言ってしまって、なんだか妙な空気になってしまったあとに、並べ終えて照明のスイッチを消し、携帯のタイマーを10分に設定し机に置いて私が座ったところで開始ということになって、なにが起きるかというとただ単に、誰かが動いたらセンサーライトが点く(センサーライトが点いたら誰かが動いたということ)というそれだけで、ライトが点いているあいだの時間は約10秒で、センサーの範囲内で熱を発するものが動き続けると動いているあいだ時間は延長されるので、4つのセンサーライトがすべて消えているという瞬間はあまりなくて、3、4回くらいしかなくて、あとの時間はボヤッと4つのセンサーライトが明滅しているだけで、開始してから人が動いてもぜんぜん点かないセンサーライトがあってスイッチを入れ直したりした以外はボヤボヤッと明滅しているだけで、じいっと座っているあいだ、なんかこれはこれで出来損ないのインタラクティブ(インタラクティブって!)なメディアアートっぽい、メディアアートまがいのものだとも言えなくもないし、このままではオチもないなあ、どうしたもんかなあ、と思っていて、実は直嶋君の演奏のあいだにもこのことを考えていたりして、もともとのアイデアとしては自分も含むそこにいる人すべてをセンサーライトのセンサー範囲に入れてしまうというもので、あとで思い付いたのが、自分ひとりだけにセンサーの範囲を限って、ただひたすらライトが点かないようにじいっとしてそれでもじいっとしきれずにライトが点いたら終了、というもので、どちらにしようかなあ、と思っていて、なんとなくもともとのアイデアの方から始めてしまったので、どうするかな、これだけで終わってしまうか、とか考えていたら、ブッブッブッブッブッと机に置いた携帯が振動して、なんだなんだとびっくりして止めたのだが、これはさっきセットしたタイマーで、10分経ちましたよ、ということで、センサーライトのひとつを灯りとして手に持って、自分の座っていたイスを会場のさらに奥に移動してそのまわりに4つのセンサーライトを置いて、前屈みになって両手を身体にまわしたような格好でじいっとし始めて、じいっとし始めたのはいいけれども、しばらく経って困ったのは点かないようにじいっとしているのが思ったよりも簡単というか、このまま何十分か動かずにいることもできそうな感じがしたことで、こりゃ困った、終わらないな、と思って(みんなも思っていたと思う)、わざとちょっと動いてみようとしたりしたけれど、なんか一旦じいっとし出すとかえって動く方が難しくなってしまって、困った困った、動け動けと思っていたら、パッと右斜め前のライトが点いて、ということは身体が動いたということで、それにつられて身体が大きく動いて、それに従って他のライトも点いて、またセンサーライトのひとつを灯りとして手に持って、照明のスイッチを入れにいって、照明が点いてさっきの位置に戻る途中に、ありがとうございました、と言って終了して、毎度のことなのだけれど、自分でもこれのなにが楽しいのか、そもそもなんなのかよく分からなくて、しまだはランダムに点いてたの?と言っていたけれど、ぜんぜんランダムじゃなくて、動いたら点く、点いたら動いた、ということで、ただそれだけなのだけれど、直嶋君は、前半のまあ今回はこんな感じなのか…、というところからブッブッブッブッブッと携帯が振動してひとりでじいっとし始めた、という展開というかがくっと変わった感じが(直嶋君は「巴投げ」と言っていた)よかったと言ってくれたり、川口君も次の日のメールのやりとりのなかで、けっこう感動したと言ってくれたり、Kさんは、後半のひとりでじいっとしたあとにパアッとライトが点いたときの感じが「神」ぽかったと言っていたりして、ただじいっとするだけの神がセンサーライトの灯りにぼやっと浮かび上がったということで、神っぽいってなんか面白いし、私の周りの厳しいみんなからいちおうは合格点をもらえたのかもしれないと思い、なんで毎回こんな(落ちるための?芸人みたいな)綱渡りをしているのかとも思うけれど、続く川口君の演奏は、観客のイスの位置を両サイドの壁際に変えてもらって、1階への階段から奥へ向かって細長い会場のまんなかを細長く空けた状態で始まって、奥のイスの足下に、扇風機を改造したという羽根も脚もない電気で棒(かつて羽根のついていた支柱)をぐるぐる回す機械を置き、しばらくしてキッチンタイマーを奥から階段の方に向かって少し蛇行しながら(床の木目に沿って?)置いていき(チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ)、20個くらい置いてはしっこに辿り着くとそのはしっこにメトロノームを置き(カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、)、奥のイスに戻って座り、しばらくしてメトロノームのネジが切れるのを見計らって、電気で棒(かつて羽根のついていた支柱)をぐるぐる回す機械のスイッチを入れて、棒にティッシュを絡ませて(パタパタパタパタ)、しばらくすると音叉を弓で弾きだして(フォーン)、ふくよかな音が音叉を弓で弾くと出るのだけれど、弾き方で2種類の音が出るようで、しばらくして音叉の下の方を引き出すとちょっと高い音になって、音叉の音に気を取られていると、だんだんキッチンタイマーのネジが切れて音がなくなってきていて、すべてのキッチンタイマーが止まるころに音叉の弓弾きもやめて、そこで終了して、去年5月のループラインでのソロもよかったけれど、今回もとてもよくて、なにがよいかというと、とにかく単純明快で、隠れているものがなくて(少なくとも私にはそうみえる)、構成(ぜんたいの流れ)も単純明快だし、明快であることはとても難しく、明快なのは体験それ自体に集中できるからいいことだと思うし、おととしの冬ごろからの川口君の変化も円熟の域に入りつつあるのかなあ、と思うが、ライブというか演奏を録音して売り出してもかなり受けるだろうなあ、とも思うし、単純明快さと共になにかそういう汎用性もあるような気がして、2/18(月)は、17時くらいの飛行機で福岡に飛んでそのまま実家に帰る予定で、それまでどこに行こうかいなあと2/17(日)の深夜に平間君と、銭湯からダイエーへ向かう途中の民家の軒先にあったご自由にお持ちください箱に入っていたなにかのお酒のおまけっぽい四角いグラスで、私はカルアミルク、平間君はビールを飲みながらはなしたり、平間君のibookで検索してみたりした結果、カウブックスは月曜お休みで、ユトレヒトも月曜お休みで、写真美術館も月曜お休みで、ということは「スティル/アライヴ」が見れないということで、田中功起さんの作品が見れないということで、ほいじゃあどうするか、とはなしつつ、平間君からティッシーについて聞いたりして、ティッシーはなんとかビエンナーレに呼ばれたときに、おれはこの町を出ねえ!といって作品だけ送ったとか、有名になるまえは(もうじいさんらしいけど)、ちゃんとしないとティッシーみたいになりますよ!とか子どもを怒るダシみたいに使われていたとかいないとか、聞いたりして、結局は、うちの父ちゃん曰く東京に行くなら見てみたら面白いぞ、おれは2回行った、というD&DEPARTMENT PROJECT 東京店で開催中の(3/12(水)現在は大阪店で開催中)「NIPPON VISION」展に行くことにして、たしか11時くらいに出発して、東急大井町線に乗って九品仏駅で降りると、幼稚園児がたくさんとそれに伴うお母さんがたがたくさんいて、なんなのか、卒園式みたいなのがあったのか、とはなしつつ、目的地へ歩いていくが、九品仏はなんというかもうふつうの町で、総菜屋さんがあったり、古本屋がありそうで全くなかったり、どこだどこだまだか、と言いつつも辿り着いて、まずはカフェにてカフェめしを食すことにして、あちらのふたり席にどうぞ、んん、どれですか、あちらです、と少しお姉さんの気分を害してしまったかもしれずちょっとびびったりして、平間君は鯛かなんかのランチセットで、私はなんだったか、なんか春の食材を使ったペペロンチーノのセットだったような気がするが、パスタと同じ皿にパンがのっていて、パスタソースでパンが湿っているのが気になって、実家に帰ったときに聞いてみると父ちゃんもそれが気になったらしいが、といってもサラダもスープもパンもパスタもまあまあ、まあ美味しかったし、ゆっくりできるので、こういうところは好きだけれど、やっぱり高いといえば高いけれども、それよりも驚きなのは平日の昼過ぎのお店にやたら人がいるということで、カフェはほぼ満員、展示スペースにも常に5、6人、2階のショップスペースにも15人くらいはいる、という盛況ぶりで、九品仏駅からここまでの感じからは想像もつかなくて、休日になるともっと人がいるのかもしれないが、「NIPPON VISION」展はナガオカケンメイさんが全国を歩き回って探してきたさまざまな地方のものを展示し販売するというもので、北海道の薄い木(紙?)のKAMI GLASSとか、宮城の石のお皿とか、茨城のレジャーシートとか、鹿児島のソラキューとか、興味深いものがたくさんで、展示を見たあと2階に行ってマルニ60・オークフレームチェアに座ってみるとぐっと適度に沈みこんでほわっと包み込む感じがよくて、これいいねえ、とはなしたりしつつ、ぐるっと回って、やっぱり自分の部屋にソファがあった方が居心地がよくなるだろうなあ、と常々思っていて、15時半くらいにD&DEPARTMENT PROJECT 東京店を出て、九品仏駅から東急大井町線に乗って、渋谷で乗り換えるときに平間君と別れて、空港に向かうにはすこしはやいので、どこに行くか、どこか行くには微妙な時間だ、渋谷で行くとこあったっけ、と思いながら、HMV青山ブックセンターがあったな、と思い出して行ってみると無くなっていて、そういえば無くなっていたなあと、仕方なくタワレコに行ってみるもとくになんともなく、9階で金子由布樹君のアルバムを聴いてみたら、去年もらったCDRのバージョンよりもなんだか音が良くなっているような気がして、タワレコを出て、京急蒲田京浜急行空港線に乗り換えて、羽田空港に到着して、すこしだけ時間があったのでスタバでスターバックスラテのショートを飲みながら、きょうの午前中に高円寺の古本屋で買ったカール・マルクス「賃労働と資本」を読んで、いたかどうかは定かではなくて、でも機内で読んだことは確かなのだけれど、スカイマークは道中ジュースもアメもくれなくて、おお、くれないんだ、と思ったけれど、機内に乗り込んで自分の席、23Fに行ってみると、沢尻エリカさんふうのおおきなサングラスをかけたセクシーな若い女性が座っていて、うーん、と思いつつ意を決して、チケットを持ちながら、すいません、ここ…、と話しかけてみると、その女性はサングラスをはずしチケットを確認したのち、すいません、と席を通路を挟んでとなりの23Eに移っていって、福岡空港に着陸するまでサングラスをかけることはなかった。