「関西アート情報ポッドキャスト「ARCAudio!!」毎週木曜日はSpecialThursdayと題しての特別企画。今月2月は“笑い”をテーマにして4組のアーティストが作品制作に取り組みます。」とのことで、4組出揃ったのでまとめて聞いてみたらいろいろ面白くて、とりあえず、「笑い」を音で、もしくは音楽で表現した、なんていう曖昧なものがないのがよいなあと思って、「笑い」を表現するのと「笑わせる」のはまったく違うわけで、私、miyataniさん、米子君、横山さん、は4人とも聞く人を笑わせようと思っているような気がした。すくなくとも私は「笑い」を表現するよりも「笑わせる、笑える」ことを目指した。そうなると、音というメディアで「笑わせる」方法について考えないといけないわけで、いろいろ考えて、いちばん確実なのはやっぱりことば(音声としての)を使い、なんらかの「笑える」意味を伝えることで、それ自体そもそも抽象的である音を使って、音そのもので笑える、なんてことは思い付かなかった。そして、だからかどうかは分からないけれども、4人中3人(私、米子君、横山さん)がことばを用いていて、それぞれの使い方の違いが興味深い。私の場合は、作品中のことばが伝える意味そのもののなかにある「笑い」で、米子君の場合は、作品中のことばとそれ以外の音の関係のなかにある「笑い」で、横山さんの場合は、作品中のことばとそれを聞く私たちの関係のなかにある「笑い」だったように思う。miyataniさんだけがことば(音声)を使っていなくて、テレビのお笑い番組なんかで、笑いどころを指し示すためかそれとも誘い笑いなのかはよく分からないけれど、番組のあいだに挿入される笑い声(ドリフみたいなアレ)と、いろいろな状況で録音された音を組み合わせていて、バスケットボールがデーンデーンデーンと鳴っている状況に笑い声が重なったりして、それを聞いていると、あたかもその状況(デーンデーンデーン)が笑える状況のように思えてくる。芸人が面白い顔をしながらバスケットボールをデーンデーンデーンとしているとか。お笑い番組を音だけ聞いているみたいな。というか構造はまさにそれと同じことで、テレビのお笑い番組の様々な要素が織り成す構造を音として取り出している、ということか。そのような意味で「笑わせる」よりも「笑い」の表現に近いけれども、バスケットボールのデーンデーンデーンが、音だけじゃ分からないけど、(笑い声があるために)ひょっとしたらこれは笑えることなのかも?と不安になること自体が笑える。そういう、隠されていること、知り得ないことは、ある場合においては、笑いを誘う。ムーディ勝山さんの「右から来たものを左へ受け流すの歌」とか。横山さんの作品にもそういうところがあって、あまりに唐突すぎるために(脈絡が隠されている、もしくは存在しない、ために)、これはいったいなんのはなしなんだろうか?、という笑いが生じる。米子君の作品にもそういう唐突さによる笑いがある。けれど米子君の場合は、横山さんみたいに剥き出しではなく、作品のなかに取り込まれている。作品中のことばとそれ以外の音の唐突な衝突による笑い。そう考えると、私のものだけが、唐突さによる衝撃も浮かび上がってくる笑いの構造もない、ベーシックな笑いのための音声というか、そういうものになっている(といっても、あれが笑えるかどうか私には判断できないけど)。音声だけで笑わせるとするなら…、うーん、落語とか…?ラジオ番組とか…?とかいうふうに考えていたからかもしれない。とにもかくにも、なにかを比喩的に表すのが表現なのではなくて、それ自体を起こすことが表現なのかしらと。


「ARCAudio!!」SpecialThursday「笑い」
第1回 小田寛一郎の場合
http://www.webarc.jp/2008/02/08012148.php
第2回 daisuke miyataniの場合
http://www.webarc.jp/2008/02/14180513.php
第3回 米子匡司の場合
http://www.webarc.jp/2008/02/22204837.php
第4回 横山千秋の場合
http://www.webarc.jp/2008/02/29023500.php