帰宅。新幹線のなかでよなさんからの着信。新大阪でかけなおす。プロフィール展の件。新大阪のトイレに入ると、小便器待ちっぽいおじさんがふたりいて、つられてなんとなく並んだが、便器は空いていて、真ん中あたりで用を足している人の腰に青いヒモがついていてそれを別のおじさんが持っている。どうやら、護送中というのかなんなのか、犯罪を犯してしまった人が警察官に付き添われてトイレに行っているっぽい。両手も拘束されていたような。火曜日は昼過ぎに品川に到着。席を倒すときにうしろの人に声をかけるべきか否かを考えていたら、倒しそびれたので、そのまま。新宿の中村屋でインドカリーを食べるけれど、1400円くらいか、高い。前に食べたときはもっと美味かった気がする。シャツのポケットのうえあたりにぽつっとカレーの染み。新宿高島屋にてジョブ。ものすごくたくさんの人がはたらいていて、大企業のすごさというか、規模が途方もない。やたらに売り場の人がたくさんいる。14時過ぎに着いたのだけれど、スタートしたのは16時くらいで、ぼつぼつやる。18時ごろからカヤノさんという人が手伝いにきてくださるとのことで、カヤノさんと遭遇。ちゃきちゃき進めてくれるので、目処が立つ。カヤノさんは東京でのうちの家業をいつも手伝ってもらっているので、売り場の人とも顔見知り。すごい。そして、20時過ぎに社員出口から出る。高円寺に向かう私と方向が同じなので、電車に乗る。どうやらはなしを聞いていると、どうやら共通点があるようで、ループラインで展示をしたり、円盤で展示をしたり、しているらしい。写真をやっている方なのだけれど、作品(というかプロジェクト?)ごとに機材やアプローチをまるで変えて別人の作品のようにしたい、とか、写真の限界をいじくりたい、というようなはなしが面白かった。サイトを拝見してみたらば、いろんな活動をされていた。またどこかで遭遇することと思う。その後、高円寺の書店に行くと、斉藤君と河野さんとTATTAKAさんがいて、店内に平間君と川口君がいた。河野さんがオーストラリアみやげを配る。斉藤君はものすごく久しぶり、というか、会うのは二回目だけれど、久しぶり感はない。そもそもあんまり「久しぶり」感というものを感じないのかもしれない。閉店後、何が食べたい?と川口君に聞かれるけれど、むずかしい質問。外と内と半外と、どれがいいとも聞かれたので、半外と言ったような気がするが、言ってない気もする。カヤノさんが教えてくれた、赤ちょうちんという店はどうだろうか、安いらしい。と提案してみたが、平間君からある懸念が出たので、大将本店。やきとり盛り合わせ2人前、スタミナ漬け2人前、ビール大ビン2本、キャベツがないのでお新香、ビール追加、日本酒、卵焼き、やきとり盛り合わせ追加、つくね、うなぎの酢の物みたいなの、ビール追加、くらい。たぶん。途中から直嶋君合流。卵焼きとか頼む。バカバカしいはなしのみ。7人で割り勘してひとり1100円。7770円で、TATTAKAさんが、じゃあオレ70円出すよ、とのことなので、70円出すよって言ってるけどひょっとしたら70円しか払わないのかもしれない、1170円払うとは言ってない、というようなバカバカしいはなしをずっとする。その後、高円寺の公園に移って、公園でたむろする。サークルKに寄ったときに、直嶋君のお友達が合流。バカバカしいはなしばっかりしすぎて、お名前を失念。みんなそれぞれに酒やらなんやら買っている。私は牛乳とジンジャーエールとマンモスの肉?というスナック菓子。TATTAKAさんが韓国のりみたいなのを買っていた。公園では自然と灯りの下に集まる。虫みたい。Kさんが合流する。平間君のおみやげのお菓子を配る。お菓子の味をどれにするか聞くときに、ストゥロヴェリ?チョコレイ?とか言いながら、だんだんとにかく英語ならなんでもいいというふうになって、平間君と英単語を言い合っていたら、河野さんに発音がいいと褒められる。と日記に書こうと、青山ブックセンターの隣というか、エスカレーターの裏にあるカフェでサンドイッチとパスタを平間君と待っているあいだ話した。カフェオレはちゃんと美味しかった。平間君のアイスティは飲み放題で、ちょくちょく注ぎにきてくれる。青山ブックセンターの前は、オヨヨ書林という古本屋に寄って、ひとしきり棚を見る。「20世紀の美術」とかいうのと、マルセル・ブリヨン「抽象芸術」っていうのを買っていた。平間君は。山田真茂留「〈普通〉という希望」で紹介されていた、ロバート・N. ベラー , ウィリアム・M. サリヴァン, スティーヴン・M. ティプトン, リチャード マドセン, アン スウィドラー「心の習慣―アメリ個人主義のゆくえ」が1800円だったので、買う。重いけど。山田真茂留「〈普通〉という希望」は読了して、付箋を貼りつつざざっと再読。ときたま説教くさいところがあるが、2、3、4、5章は面白いと思う。みんなでいるときはバカバカしいはなししかしないが、銭湯から帰ってきて、水やインスタントのお茶を飲みながら、平間君とわりと真面目なはなしをする。いつも平間君のおうちに泊めてもらっているけれど、寝る前に真面目なはなしをする。わりと。へうげものを読みつつ、就寝。直嶋君のお友達が、公園で内容のないはなしをしている私たちを見てポツリと、この人たちは話す内容がないんだなあ、と言っているのを聞いて面白かったと平間君が言っているのを聞いて、帰りの新幹線で「〈普通〉という希望」を再読していてそれと関係ありそうな箇所。第4章「「私」の専制」より。

現代人は「人間関係において「コミュニケーション」が大事だと言うが、何をコミュニケートすべきかについては適切に考えることができていない」というのはベラーらによる痛烈な批判だが、これこそ嗜癖的な関係の実相にちがいない。嗜癖の対象と化した親密性で大切なのは、コミュニケーションの中身やその質などではなく、誰かと一緒にいて話をすることを通じて調達される安心感なのである。

ちなみに、ベラーらの批判というのは、「心の習慣―アメリ個人主義のゆくえ」からの引用。たしかにそうかもしれない。私たちのバカバカしいはなしは、ただルールをドライブさせることだけが目的なので、親密性は結果的なものかもしれない。同じことか。ここでいわれている親密性というのは、アンソニー・ギデンズのいう「純粋な関係性」のことで、アンソニーはその特性を7点にまとめたらしい。山田真茂留「〈普通〉という希望」の第4章「「私」の専制」より。

1、社会的・経済的生活の外的諸条件に依存しない。
2、関与者たちの関心のためだけに維持される。
3、反省的でオープンな組織化がなされる。
4、外的な絆ではなくコミットメントが重要。
5、親密性に焦点が当てられる。
6、獲得的な相互の信頼が肝心。
7、アイデンティティは親密性の発展のなかで彫琢される。

ギデンズ本人のいう「純粋な関係性」がどういうものかいまのところ分からないのでなんともいえないが、山田さんの解釈したアンソニーの「純粋な関係性」というのは、もろもろのしがらみ抜きに趣味や興味「だけ」で(だからこそ)強力に繋がる人間関係のことをいっている模様。そして、それが嗜癖の対象になりやすいことを問題にしている。コミュニケーションの中身ではなく、コミュニケーションそれ自体からもたらされる安心感だけを目的とすることを問題としている、と言い換えられるかもしれない。といっても、実際にはそんな極端なはなしではなくて、みんな、中身も安心感もどっちも得ようとしているようにも思う。私たちのバカバカしいはなしの場合、ある任意のルールをドライブさせることで会話を生成するのが目的というか会話の「中身」で、それに加え、安心感も事後的に生じているっぽい。もちろん、そういう安心感が生じるのは、会話する諸主体がルールの共有というかたちで強力に閉じているから。ということは、内と外の区別を自動的に作り出してしまうわけで、それはそれで問題ではある。というか、そういう「閉じるやりかた」をどんどんいろんな物事に拡大適用することが問題なのだろう、たぶん。公園でのたむろが終了し、電車帰宅の人たちを駅まで送る。最初にTATTAKAさんを見送る。河野さんを見送るとき、斉藤君が、いい女になった!と言ったので、それが見送りルールとして定着する。直嶋君の場合は、いい男になった!というふうに。いろいろ書き忘れた。11時半くらいに起きて、ご飯(米)が残っているから食べないと、という平間君が、味噌汁とご飯とトマトの朝昼飯をつくってくれる。トマトにはオリーブオイルと塩をかける。そのままでいいという平間君だけれども、最後のにかけていた。小山登美夫ギャラリーに行こうかと思ったが、なんだか行くのが面倒そうなので、やめて、銀座の中ザワヒデキさんの展示を見に行こうかと言いつつ、いつのまにかやめになって、表参道に建築を見に行くことになる。原宿で降りて、歩く。まず、SANAAディオール。歩道橋を渡りながら見る。歩道橋からのディオールをバックに記念撮影している母娘がいる。平間君も携帯で撮っている。ドレープ。入り口前の植木を保護する柵に座ってひとしきり眺める。入り口にドアマンみたいなのがいる。男二人では絶対に入れない雰囲気。中の雰囲気が気になるけれども。歩いていると向こう側に表参道ヒルズが見える。ヴィトン。青木淳。佇まいはわりと地味。入り口のディスプレイは電飾でつくったいろんなかたち。星とか。バッグとか。ディオールよりは入りやすそう。でも入れない。入りたいけど。直進し、伊藤豊雄のトッズを見つつ、歩道橋を渡る。隣のビルと面している部分のコンクリートの枝と枝のあいだがガラスじゃなくてステンレスみたいなのになっているのは何故なんだろう。単純に見た目だけなら、なんかチープというか、面白くもなんともない。構造が外観、という意味では面白くはあるけれど、構造が外観、つまり外観が構造ということでもあって、それはそれでどうなのだろう・・、という気持ちもある。内容と形式、という二元論。これを乗り越える方法として、形式を内容化するか、内容を形式化するか、ということになって、結局はどっちかに集約してしまうのが、どうなのか、という。こういうのに対する違和感は、青木淳さんが言っていたような気がする。歩道橋を渡って向かいのヴィトンを見ながら道をすこし戻る。今日はすべて建築の外観しか見てないけれど平間君のお気に入りは青木淳のヴィトン。表参道ヒルズ到着。安藤忠雄。そういえば、火曜にジョブをしているあいだの館内放送で、群馬からお越しのあんどうただおさま、お連れ様が〜、というアナウンスが流れた。スロープ。だいぶまえに川口君からやったかな、サウンドシステムに坂本龍一が関係しているというような情報を得たけれど、いま調べてみてもそういう事実が出てこないので、六本木ヒルズと勘違いしていたのかもしれない。表参道ヒルズでは、ピアノと水の音、みたいなアンビエントが終始流れていた。なぜか和食器の店に入ってひとしきり見る。5000円もする箸。沖縄のガラスとか。白山陶器の富永さんの花器。ヒルズを出て直進。隈研吾のONE表参道はそれと気づかず通過。そういえば、MVRDVのGYREもそれと知らず通過。歩道橋を渡るときに、このビル、マルタンマルジェラが入っているなあとは思ったけど。十字路で青山の方に向かったので、プラダは見てない。