今週は最近でいちばん大変というかいつもとは違う一週間で、月曜日の夕方に佐賀の母ちゃんから電話があって、今日はおじさんが夜通しで仕事だからいまからばあちゃんちにいってあげて、ちょっと体調も悪いらしいよ、とそういうことを言っていて、出動要請が出ました、とか言っていて、妙に腹が立ったのは、不謹慎だ!とかそういうことではなくて、困ったときにすぐ使えるように待機しているかのように思われているような気がしたからで、はんぶんはまあそう思われていると思うのだが、あとは、センタープラザのサヴォイというカレー屋が休みだったので春日野道でラーメンでも食べて帰るか、と思っていたところに、晩ご飯は食べた?まだなら一昨日私が作ったカレーがあるから(先週の金曜日から日曜日まで母ちゃんはばあちゃんちに来ていた)ばあちゃんちで食べなさい、とかいろいろ言われて、いろいろ言わんでも適当にするからいいよ!すぐ行くから!と邪見にしたら、あとで父ちゃんに勝手にすると言われたと言っていたらしく父ちゃんからその旨のメールが来て、なかなかいろいろむずかしいもんだと思うが、母ちゃんから電話があったのは、ちょうど三宮から自転車で帰っているところで、こんなに遠かったっけ、と思いながら自転車で帰って、それからすぐ寝間着と歯ブラシなんかを持って家を出て、というふうになんかいちいち書いていたらとてもじゃないが書ききれないというか、さっきまで熱が38度くらいあって頭痛もありわりとしんどくて、ばあちゃんちで飲んだ薬が帰宅途中のコンビニで立ち読み中に効いてきたからいまはまあまあ元気なだけで、またすぐしんどくなるのでさっさと寝たい。なので布団のなかに入ってポカリを枕元に用意して、ラジカセでは□□□の「ツアー」という曲がかかっている。キリンジのライブ音源入りシングルはこの前三宮のタワレコに行ったのに買い忘れた。それが月曜日でタワレコに行く前にビームスと大丸だかのあいだの道路を海側にちょっと行ったところのネスカフェのカフェの前あたりでぐうぜん木下さんと遭遇してちょっとだけお話して別れた。月曜にばあちゃんちに行ってみると吐いたり下痢したり大変そうで、病院に連れて行くにもタクシーで行けるような感じでもないので、即、救急車を呼ぶ、と来てくれた3人の救急隊員のうちリーダー格以外の2人は、このまえばあちゃんが大腿部を骨折したときに来てくれた人と同じ人で、それから偶然にも搬送された病院も大腿部を骨折したときと同じ病院で、処置のときに大腿部の骨折で入院していたときの整形外科の病棟の看護師長さんが手伝っていて、どうしたのー、と心配される。なんやかや処置が終わって血液検査の結果、白血球だったかそういうのが増えていて、ということは、なんらかのウイルスとかが身体のなかに入っている可能性がある、ということで、10階の内科の病室に着いたのが日が変わるくらいで、認知症のこともあるし泊まってもらったほうがいいとのことで、泊まる。ナースステーションに直結したHCUだったかそういう綴りの手術したばかりとかよく様子を見ないといけないとかそういう患者さんが一時的に入る部屋にいて、イスに座ってナースステーションから漏れる光で本を読もうとするが無理。簡易トイレを置いてくれたので、起きたばあちゃんを便所はこれにどうぞ、という案内を夜中に5回くらいする。1時くらいにお茶を飲ませたら直後に吐いてびっくりする。なのでこの日はまったく寝ずに火曜日に突入して、火曜日は熱があったりしてばあちゃんはずーっと寝ている。昼に来たおじさんと病院あたりの喫茶店で今日のランチ(焼肉定食)を食べ、そのまま会社に向かうおじさんと別れ病室に戻ると、看護師さんが、ああ帰ってきた、と言って、どうやら眠りから覚めてここがどこやら分からず点滴の針が刺さったまま動こうとしていたようで、かるく促してベッドに戻ってもらう。昼過ぎから徹夜のためか頭痛がする。簡易トイレに入ったほとんど水の便を容器で掬って検査のため看護師さんに渡す。(ばあちゃんが用を足しているときに)受け止めれた?と訊かれるがいやいや無理ですよ、と答える。さすがにそんなん無理だ。わりと便とかそういうのは平気かもしれない。せっけんでの手洗いとアルコールでの手の消毒はするけど。しばらくしてドタウイルスというウイルスに感染していたことが判明する。手洗いとアルコールでの手の消毒を徹底してくださいという指示。昨日からやっています。夕方からやってきた姉ちゃんとおじさんと夜は高級串カツを食べる。1串150円くらい。私にとっては高級。水曜日は14時くらいまで寝ていて起きて用意してぼちぼち行くかと家を出たのが16時くらいで、出たところで非通知設定から電話がかかってきて出てみると病院の内科の看護師長さんで、朝からウイルスのこともあって個室に移ったばあちゃんが動き回って困るから、いつくらいに来ますかという電話で、なにやら早く来てくれないと困る理由をずーっと言い続けているので、いま向かっていますから、とはなしを終わらせる。かなり大変なのだろうなあと思いながら病室に入ると、まあわりと落ち着いている。まだご飯が食べられなくて、点滴をしてもちぎってしまうらしく、ご飯も点滴もなくお茶だけでふたりでひたすらぼーっとする。下痢もだんだんおさまってきて元気だし一時帰宅してみて大丈夫そうなら退院を、と勧められるも、おじさんが仕事で来れないので、明日の夜に一時帰宅することにして、泊まりの用意はしていなかったが、病室に泊まる。簡易ベッドと毛布と枕を貸してくれる。ちなみにばあちゃんはあのつぶつぶの入った枕を枕として使っているとき以外は米だと思っている。たしかに米っぽい。すごくよく分かる。ばあちゃんは21時くらいに寝て、0時くらいに起きてなんだかうろうろし出して帰ると言いながら病室の外に出てうろうろしていて、しばらくうろうろさせた方が気がすむだろうと思って一緒に深夜の病棟をうろうろするが、ひとしきりうろうろしたところで、看護師さんが来てうまいこと病室に促してうまいことベッドに促してうまいこと寝せてしまった。プロの仕事だなあ、と簡易ベッドで寝ながら感心する。木曜日は昼におかゆとかそういうのが出る。ぜんぶ食べる。15時くらいに昼寝をしていたがそのあとに調子が悪いとの訴え。調子が悪いらしいのと今夜もおじさんが仕事で来れないらしく、一時帰宅は明日に延期。それで22時くらいに、今日は帰るよ、と言うと、帰るなら先に言っとかんと!今日はここにひとりで寝るんけ?(カーテンのあたりを指して)さっきそこに男が3人おった、(戸棚のガラス戸あたりを指して)そこから子供の手が出るかもしれん、などとたいそうご立腹の様子。今日くらい一人で寝れんの?こっちも大変なんだよ、言ってること分かるよね、とかついつい言ってしまうが、妙に冷静な顔になったばあちゃんに、いや分からん、大変なのはみんな一緒、そんなこと人前で言うたらいかんよ、などなどひとしきり説教されるが、どうやら、私をばあちゃんの生まれ故郷に住んでいる知り合いか親戚だと思っているようで、なんだかよく分からないまま人違いの説教を私が受けるような格好になる。でもなんとなく反省して、というか面倒臭くもなったので、泊まることにする。二日間フロも歯磨きもなしになる。夜中はとくに徘徊もせず寝る。ときどき看護師さんが来てくれていたようだ。金曜日の朝から昨日のことがあったからか、ばあちゃんは私に対して敬語を使う。私のことをいままでとは別の人だと思っている。ばあちゃんのなかでは完全に別の人になっている。午前中に携帯でgmailを見て早めに返事をしないといけないメールに返事をする。朝ご飯が済んでから昼にまた来るからと声をかけて一旦うちに戻る。はてなのみつ君からの書き込みにお返事をする。2/24の覚え書きの書き方が悪くてちょっと迷惑というか不快に思わせてしまったかもしれない。例の「疑問」はたぶん私の無理解から来るもので私のなかで乗り越えるべき「疑問」として考えている。素直に、うーん、どうなんだろう、と思うところからスタートする方が得られるものが大きいと考えている。といってもそのほとんどはcom+positionでの木下さんの楽曲と前回のみつ君の楽曲などでいろいろと整理がつけられるようになってきた。そういう感謝の気持ちをcom+positionに寄せた文章(com+positionのwebサイトhttp://www.k4.dion.ne.jp/~onsitu/com_position.html)には表した。恩返しのつもりで。まだその恩は返しきっていない。と、com+positionのwebサイトのテキストコーナーにみつ君のテキスト「記譜の愉しみ」が!記譜の「愉しみ」が伝わってきてとても面白い、私はみつ君のこういう声を聞きたかったのだ、ずっと。確かに「回避」というひとつの概念の解釈の違いについてだけをはなすのは無意味だし、ここで引用されている私の指摘は「音楽」の領域においてではなく、より一般的な領域において為されている。というよりも、みつ君のいう「作曲行為、作家性」について私が書いたことは、実制作者としての「作者」の割合が大きくて、みつ君が考えている「作曲行為、作家性」は、作品をコントロールするもの・作品の根拠・作品の起源・根っこ・(ひいては)作品の内容(とも捉えられてしまう?)であり、それゆえ作品を鑑賞する際に判断とか解釈とかの参照点にされてしまうものとしての「作者」であって、これはいまのいままで間違っていた。実制作者としての作者、作品の根拠・意味付けるものとしての作者という「作者」概念の両義性を、それぞれ別に意識していたにも関わらず、ひとつのもののように勘違いしていた。なぜだろう…。実制作者としての「作者」がいる限り、作品の根拠・意味付けるものとしての「作者」は死なないと思っていた。実制作者は必ず「作者」に祭り上げられると。(うーん、でもそれも、それが起きる「場」がカバーする範囲の広さ・種類の違いだけかもしれない)そして私の、作品の根拠・意味付けるものとしての作者についての考えは、作品の質量がどうとかそういうところに反転したかたちで流れていく。そう考えるとみつ君と私は同じようなことを違うルートというか違う位相で考えているのかもしれないと思う。うすうす思ってはいたけれど。というか私たちの世代みんながこのことをどうにかしようとウロウロしているフシがある。あと、みつ君の言っている「何も全てからではなく、少しでも少しでも離れることへ挑戦」(すること)から生まれるものはささやかなものかもしれないが、絶対に何かある。難問の隙間、矛盾の隙間、を強引に歩いてみることから生まれるものはささやかなものかもしれないが、絶対に何かある。そしてそれは音楽以外の部分をも照らしうる。そういう、内側から外側をも照らしてしまえるようなイメージなのかもしれない、みつ君の音楽は。前回のcom+positionで演奏された、竹内光輝 『(タイトル未定)』ではほんとうに素晴らしい時間を過ごしたので、これから楽しみで、わくわくしてくるなあ。いいことだ。たぶんあの曲はいままでのみつ君の到達点でありかつこれからの出発点になるべき曲で、いままで私が聴いた、作曲法もその結果生成される音楽もミニマムでありかつ正攻法の(というとこれはこれでややこしいけれども)作曲もので一番感動した。みつ君のフルートが入ってくる瞬間がスリリングなんだよなあ、というふうにあのときのあのあいだの時間は強く記憶に残っている。まともに素晴らしい音楽なのだ。と自分で思ったこと自体にもびっくりした。で、なんだかちょっと身体がふわふわするようで様子がおかしいので葛根湯と栄養ドリンクを飲む。阪神百貨店でなんかおなかが気持ち悪いので、助六を買ってばあちゃんの病室へ。ご飯を食べているところだったが、なぜかお盆に手洗い用石けんのボトルが乗っている。のでしれっと蛇口のよこに戻す。ちょっとそれを呼ばれようかな、といなりを指すので、はんぶんあげる。いちおう揚げの部分をとる。油ものだからおなかには優しくないかもしれない。昼くらいから、今日の夜におじさんが来たら一旦家に帰るからね、と言っていたら、15時くらいにさっ!帰ろうかな!と言い出して部屋の外に出ようとするので、いやいやまだだよ、と言い部屋に戻ってもらうが、担当の女医さんが来て、もう退院しても大丈夫ですので、と言いにきてくれたあたりから、だんだんと機嫌が悪くなり、あれは誰や?先生だよ、退院してもいいってよ。知らんで。ばあちゃんはお腹が痛くて月曜から入院してるのよ。いーや知らん、はなしが違う。というような感じで怒りだす。もう疲れたし聞いていてもしょうがないので、耳に指を入れてうにょうにょと動かして聞こえないようにしながら無視しているとさらに怒って、帰る!と言って部屋を出て止めるのもものともせず廊下のさきへ歩いていってしまう。このまま病院にいてもかえって機嫌が悪くなってこういってはなんだがものすごく面倒くさいので、タクシーで連れて帰ろうと思って、なんか帰るって言ってるんで帰ります、と看護師さんに言って、大急ぎで整腸剤を用意してもらい受け取るが、いまのばあちゃんは私に対して不信感しか持っていないので、一緒にタクシーに乗るか不安で、エレベーターホールにまでは辿り着いたばあちゃんを看護師さんに説得してもらって、なんとか部屋に戻る。戻るときに看護師さんにまで嫌味を言う。そのあと小1時間ほど、いかに私が人を部屋に連れてきて閉じ込めるような悪党か、いかに私が人を騙して働かせるような悪党か、(ばあちゃんが)部屋を出るときに髪をひっつかんだ(もちろんそんなことするわけないが)、嫁さんもらって子供もつくらなあかんような大の大人がこんなことしとったらいかん!などなど説教される。なんか言いたいことがあったら言ってみねえ!と言われるが、こればっかりはなにも言うことがない。無理になにか言ってみたところで怒りが収まるわけでもないし、そもそもこの件に関して何も言うべきことがない。私もなんのこっちゃ分からんから。どうやら私は人を騙して工場とか炭坑とかそういうことろに送り込むような悪党になっていて、というかばあちゃんは入院していること自体をなにかの労働だと思っていて、これは前回の骨折して入院したときも一緒だった。しょうがないので今度はちゃんと説教を聞いていたが、月曜日から金曜日まで泊まり込んだりしてずっと来てるのに、さっき計ったら熱が38度あって頭も痛いのに、なんで見に覚えのない説教を聞かないといけないのだろうか、と思うが、こういうのが認知症の救いのなさだ。脳が萎縮するなりして物理的かつ構造的に脳の活動に障害が起こる。外部との交通がほとんどなくなってしまっているのか、他人と話し合ってお互いに納得のいく合意に至る、なんてことが全くない。自分の感情や判断や知覚に対して、それ自体について考える、というような反省の部分が欠けてしまったりするのかもしれない。でもそれはばあちゃんのせいではなく、ばあちゃんの認知症のせいなのだ。誰も悪くないのに誰もがしんどいという救いのなさ。ばあちゃんもしんどいし私もしんどいしおじさんもしんどいだろう。といっても、おじさんが19時半くらいに来て、ばたばたと家に帰ってうどんを食うあたりになると非常に上機嫌で冗談もいう。私が「孫のかんちゃん」ということにも気付く。いままで私が誰だったのかは謎のまま。帰る途中に病院から出ておじさんの車へ歩いていくときにも、今日は怒ったけれども、しっかりせんといかんよ、と言われた。ひととおり書き終わったので、寝る。あさってはこれがあります!いままで皆勤で通っていますが、木下さんの楽曲といい江崎さんの楽曲といいみつ君の楽曲といい、前回からまた新たな次元に入っている感じがします。


com+position6
2008. 3. 2. sun.
開場 15:00 開演 15:30 料金1,500円(1ドリンク付)
at chef d'oeuvre(シェ・ドゥーヴル)
大阪市西区阿波座1-9-12 tel. 06-6533-0770


江崎將史 compose, trumpet
木下和重 compose, violin
竹内光輝 compose, flute (melodica, claves)


曲目
メンバーそれぞれのもの
Manfred Werder : stuck 2004 3


com+position
http://www.k4.dion.ne.jp/~onsitu/com_position.html