ばあちゃんの転院のため8時半くらいに阪急梅田行き特急に乗っていると同じ車内に木下さんを発見する。少しばかりお話をして私は西宮北口で乗り換えのためお別れして病院へ。とここまではわりあい穏やかに書いているけれどこれを書き出したのは少しだけ気分を害していて自分ではそうでもないと思っていたけれど意外にも害しているようだからで、何に害しているのかといえば転院先の山の方のリハビリテーション専門の病院の看護師さんなのか看護助手さんなのか知らんけどそういう人たちのなかの一部の人たちのことで、病院にあるアンケート用紙に書けばいいのかもしれないが、それでは私が得るものがないので、ここに書くことでしばし考えてみる。ばあちゃんの隣のベッドのおばあちゃんは何らかの(脳の?)後遺症のためことばがうまく話せずどのくらい意識があって反応があるかもそんなにはっきりとはしていない感じでなおかつ嚥下も難しく痰もつまりやすいみたいで、まあそういう症状の方は別に珍しいわけではなく、うちの父方のじいちゃんも脳梗塞からそういう症状になってしまったが、とにかく何がひっかかったかというと、そのおばあちゃんのなにかのお世話を2、3人の看護師さんだか看護助手さんだかでやっているときに、○○さんー、○○さん、聞こえますかー!と名前を呼んで語りかけるのはよく見かける光景なのだが、その後に続けて別の看護師さんだか看護助手さんだかが声色を変えて、はいー、○○(そのおばあちゃんの名前)ですー、と答えていてさらに別の看護師さんだか看護助手さんだかが、はいはい、何か別のところから声が聞こえてきますねー、とか言っていて、おばあちゃんが何も分からない(ことなんてないのだが)と思っているのかどうか知らないが、明らかにこの人たちはこのおばあちゃんを「世話をしないと生きられない弱い存在」だと看做して知ってか知らずでか見下しているような気がした。このことはこのおばあちゃんに悪影響があるのは言うまでもないことだが、この人たちにとっても悪影響が大きくて、スタッフ同士の意識がこんなレベルなのであれば、患者の立場でものを考えるなんてどう考えても到底できるわけがない。というか他人の立場に立ってものを考えることすらおぼつかないかもしれない。というのは明らかに言い過ぎなので謝りたいと思うし、お疲れなのかもしれないし、でもそんなこと患者には何の関係もなくてどちらかといえばその病院の看護システムの問題なのだろうし、もちろんこれだけ取り出したら小さいことだし冗談で済むことなのかもしれないが、こういう小さいことの積み重ねが人間の思考の傾向を形作る。まあもうちょっとスタッフのみなさんを時間をかけて見てみないと分からないのだけれど、理学療法士さんや作業療法士さんはにこやかなのだが、看護師さんだか看護助手さんだかが私たちと話すときですら全然目が笑っていないしというかそもそも顔が笑ってないし、うちのばあちゃんに接するときも、ベッドに座っているばあちゃんに向かって立ったままで座って目線を合わせることもせず、はい、車椅子に移りましょうか、と言って背後からじっと見ているだけで、ばあちゃんが動く気配がなければまた同じ言葉を繰り返し同じ姿勢で背後に立っているだけで、これでは行動を促すとかお願いするとかですらなくただの命令でしかない。そもそもばあちゃんはなぜ車椅子に移らないといけないかが分からないと動かないのだし、これは別にうちのばあちゃんに限ったことではなく、その理由が分かって納得した上でないと動かないのは誰でも同じなのではないだろうか、その辺のことがこの人たちは分かっているのかな、プロのくせに、誇りを持ってやれないのなら辞めたらいいのに、と書いていてだんだん気分の害しがフィードバックしてきてうっかりそのとき思わなかったことを思ったりもしてしまったが、まだ1日目なので、もうちょっとスタッフのみなさんを時間をかけて見てみないと分からないのだけれど、第一印象は割と大事ですよ。