阪急六甲の改札を出てアズナスとブックファーストのあいだを通って突き当たり(この突き当たりや改札付近では神戸大学生らしき人達が学生を対象にしたアンケートをちょくちょくやっていて、この前もブックファーストに入るところを呼び止められて、眼鏡をかけていて素朴な感じの(おそらく1回生だと思うが)しかし磨けば光る感じもする女性に呼び止められたが、学生ではありません、と正直に答えた)左に曲がって、右に行くとモスバーガー方面で、左に曲がって進んで階段を降りたところで正面にパン屋と花屋を見ながら右に曲がり、100mほど行くと山側から海側へとはしる道に突き当たって、さっきは堂本兄弟を見ていたらうっかり柳原可奈子さんの唄う椎名林檎「歌舞伎町の女王」を聴かされそうになったので、世界遺産にチャンネルを変えて、ユニクロの薄いグレーのクルーネックセーターや姉からもらったみどり色のちょっと太めのコーデュロイのズボンやなんかがタバコ臭いのが少し腹立たしくもあるけれど一晩たてば消えるだろう。その突き当たりのアパートの敷地と隣の駐車場を区切る塀に沿って生えている草を食べている(猫はおなかの調子を整えるために草を食べるとどこかで聞いた気がする)のを見て、立ち止まってじーっと見ていたら少し気になるらしく、塀に沿って少し移動して向こうの草を食べ始めてそれでもじーっと見ていたら、背後の山側から海側へとはしる道を走る車のブーンという音にびっくりしたのをあたかも私のせいのように私の方を見るので、そしてそれを二回も繰り返すので、マスクの下でちょっと笑う、すこし嘲笑う。姉からもらったみどり色のちょっと太めのコーデュロイのズボンはタバコ臭くなる前はなんだか鉄臭かった。姉のタンスの肥やしになっていたもので一回は洗濯しているのだけれど鉄臭い理由はよく分からない。御影のダンケというコーヒー屋でこの店はなんか嗅いだことのある匂いがする、なんだろう、とウインナコーヒーが出てくるまでしばらく考えていて、おお、これは温泉の匂いというか姉が大分かどっかの温泉に行ったときにおみやげで買ってきた湯の花の匂いだと思い至って、というかこれは鉄っぽい匂いでそして自分のズボンの匂いだ、と思い至ったが、それでもズボンが鉄臭い理由はよく分からない。とここまで944字も無駄話に費やしたがこれが無駄話だと誰に言えるだろう、話が無駄に見えるのは話をそういうふうに観測しているだけでそこには必ず無駄と非無駄を区別する原理がなければならないのだけれど、その原理に関する根拠というか妥当性についてはその原理自体には含まれ得ない、というのはどこかのだれかのいろんな本やらなにやらから得た知識でもあり実生活での私の実感でもあるのだけれど、私は私が触れる(であろう)出来事はすべて意味があるというとちょっとややこしくなるので面白いというふうに言い換えたいけれど、私は私が触れる(であろう)出来事はすべて面白いと仮定してそれを証明するべくその出来事に触れるのだけれど、ということはつまり面白いところを探すということで、逆に面白くないところを探すのはあまりに簡単すぎて面白くない。「個人的には面白いとは思えない」「個人的には趣味じゃない」とかなんとか全く中身のないことばでもって思考をやめることができ、なおかつそれを思考をやめる理由にすることができるからで、面白いところを探すということは白を黒と言うとかそういうことではない。モノの次元には客観的事実としての白とか黒とかがあるかもしれないが、コトの次元には白も黒もない。というようなことを今日谷町9丁目の伽奈泥庵でaenこと鈴木康文さんの演奏を見ながら思ったが、なにも鈴木さんの演奏が面白くなかったわけではないことは言うまでもなくて、鈴木さんには久しぶりに会ったけれど別に久しぶりの感じはしない。西川さんにも久しぶりに会って、久しぶりですね、とも言ったのだけれど実は別に久しぶりの感じはしていなくて、私は久しぶりでもあまり久しぶりだと思わないのかもしれない。鈴木さんはポータブルのターンテーブルとかカオスパッドとかバイオとかテープレコーダーとかいろいろ使う。前半はコンピュータの操作が中心で後半はタンテの操作が中心。タンテにはCDを乗せていたように見えて、普通のCDの記録面ではない曲名とかいろいろ表記されたなんらかのデザイン面のデコボコをタンテの針で拾っているのだと思っていたら(けっこうこれが面白くて友達のターンテーブルでやっていた)なんか違うらしく鈴木さんに、あとで見てみてよ、と言ってもらったにも関わらず見るのを忘れていたが、どうやらCDに溝をプレスしているらしい。なんか分からんけどそれはすごいなあ。と思う。伽奈泥庵には初めてきたのだけれど、というか中崎町にあるsalon de AManTOと混じっていて、ということはどうでもよくて、とにかく伽奈泥庵はなんだか西麻布ブレッツみたいだと入って思った。お店の佇まいというよりお客の佇まいの方がそういう印象に作用しているような気がする。というよりも「鈴木康文さん」とか「ユダヤジャズ」とかのキーワードで私が反射的に思い浮かべた先入観によるものだと思う。西川さんはソロとブラジルとで出演していて、ソロはギターを弾きながらピックアップの切り換えスイッチを切り換えていた、ように見えたが、ひょっとすると出力がふたつのアンプに繋がっていてそれを切り替えているのか?!とも演奏のあいだ思った。けれどご本人に聞き忘れた。というか聞こうと思うのを忘れた、という方が近い。たぶん6、7分くらいギターを弾いていて突然終わって、拍手があるなか、2曲目はひとりしか聞けないんですけど誰かひとり代表して聞きませんか、とこういう趣旨のことを言っていて、お店のおばちゃんから指名されたある男性がイスに座ってその人の左耳になにやらプラスチックの玉のようなものがついている(ように見える)何本かの針金を一方の端で束にまとめたようなもの(に見える)の束の方を突っ込んで西川さんは何本かの針金を爪弾いていた。どういう音楽だったのかは私たちには知る由もない。けどちょっとポロロンポロロンという音が聴こえてはいた。けどたぶんその男性にはそれとはまた違う音だったと思う。ブラジルの演奏を見るのは二回目で、曲もいいけど歌詞が面白いなあと思って、「遺言」という曲がいいなあと思う。OORUTAICHIさんと半野田拓さんのデュオがトリで、アコースティックギターとかタイコとかオカリナとかおもちゃのキーボードとかシンバルとか使っていて、半野田拓さんがタイコアコースティックギターシンバルで、OORUTAICHIさんはそれ以外。前半は探りつつ落としどころを見つけたらそれをしばらく続けるという感じだったけれど、最後のあたりでOORUTAICHIさんの妙な鼻歌が出てきてなんだか乗ってきたみたいだった。そのあと一回終わったようになって拍手があってまた始まったりした。どこか知らない土地の知らない人達のあいだで伝わる伝統音楽のようだった。でも目の前のふたりによる見慣れた楽器による演奏でもある。ものごとはなんでもたとえでしか表せない。これらのもろもろはもののたとえでしかない。あと14分でプリズンブレイク2が始まるので今日は風呂で本を読まずに大急ぎで入る。と書いてyudayajazzさんについて書き忘れていて、客入れ時とライブのあいだにDVJをやっていて、むかしの人形劇のようなものやアニメやバナナの叩き売りやなんかの映像とか音とか自分の演奏とかが混ぜ合わされている。(映像の内容が/も)面白いのでみんな見入っていた。と風呂から上がると1時55分でもうプリズンブレイク2が始まっていて、いろいろ書き忘れているし書き得ないこともたくさんあるだろうし、時間に追われるとそもそも書くのが面倒臭くなるが、帰りは梅田まで米子君に車で送ってもらってJR大阪付近に着いてからもしばらく車ではなしをしたが、人間を白を黒と言うまで拷問するとして、極限まで達すると―自分には白だが辛いから黒と言う、というようなレベルを超えて拷問すると―知覚のレベルで白が黒に見えてくる、ということがあるらしい、というはなしが興味深かった。これはたぶん日常のレベルにおいて、生きていくために人間というプロセスそのものに備わっている機能でもある。