10/8(月・祝)の17時すぎくらいに、天満の川口君に教えてもらった串カツ屋に行ってみるも、直嶋君曰く飲み屋は日祝休みが多いらしくお休みで、少しだけぐるっと回ってその裏あたりの居酒屋に入ってみる。直嶋君も平間君もビールの大ビンが安いと歩いているうちからしきりに言っている。そのとき何を話したか頑張って思い出せば思い出せるかもしれないが変に頑張るとろくなことが無いので、頑張らずに思い出せるのは、三人だとはなしが適当でもなんとかなるとか、直嶋君は(人生?)勉強のために大衆的な居酒屋に行くとか、この居酒屋の名物らしい「フェイス・350円」についてひとしきり妄想を巡らしてみたりとか、そういうようなことをはなしていたような気がする。このあいだ1時間半くらいで、そのあと、新大阪に向かう直嶋君を天満で平間君と見送る。直嶋君は天満で飲むために新幹線を一本ずらしてよかったと言っていたのでよかった。


10/6(土)の8時半くらいに、いったん起きて、うつらうつらと二度寝していると9時40分くらいに直嶋君から電話があって、駅の近くの神社にいるとのこと。神社の入り口にいるのかと思いきや神社の境内というか広場みたいなところの石のベンチというか座るところにいた。うちに行く途中にプチブレに寄ってそれぞれにいくつかパンを買う。店内にいた親子の親の方が子の方に、手に持ったトングをレジのお姉さんに渡して、という意味で、お姉さんにはーいして、お姉さんにはーいして、と言っていて、子の方がただはーいと言うだけだったりしてなんだか面白かった。お昼くらいにみつ君とさっきの神社で待ち合わせて神社を通って少し下ったところにある駄BOSQUEでスープカレーを食べる。最近なんだかバタバタしていて忙しそうだ。


10/7(日)の13時すぎくらいに、近所の川に平間君と極西楽団のライブをしに行く。平間君が紺色のジャージを着ているので私も同じような紺色のアディダスのジャージを着る。が、暑いのですぐ脱ぐ。というか、家を出る時から脱いでいて、つまり着ていなくて、カバンに入れて出かけたような気がする。直嶋君は12時に「com+position」出演のため本町へ向かった。以前、どう考えても魚のいなさそうな川の浅いところで、おじさんが釣り竿を持って釣りをしているのを見たことがあって、不思議に思ってしばらく見ていたら別のおじさんがやってきて、あんなところに魚なんているのかねぇ、ねぇ、いるんですかねえ、というはなしをしたことを思い出して、同じあたりに行ってみると、なんだか小さいハヤだかなんだか分からないがとにかく魚らしきものはいた。平間君が釣り竿でルアーをたらしていると、どこからともなくちびっこ三人組がやってきて、あのねえ、ここでねえ、釣ったらだめなんだよ、おじいさんがねえ、ここで釣っててねえ、釣って戻したらいいけどねえ、とか言っていてなんだか面白かった。私はどのくらいのあいだか分からないが、ぼーっと茎の長い草を川にたれながら、草と川の流れが触れる動きを眺めた。草の動きでも川の流れでもなくて、草と川の流れが触れるその面というかそういう部分の動きを眺めた。


10/6(土)の19時くらいに、平間君のソロ演奏が始まって、直嶋君の演奏の前に壁から取り外したギターを床に置いてそのあたりに向かってこの日の午前中から昼にかけて六甲のいろんなところで拾った小石を投げていく。コツ、コツ、という音をたてて転がって、たまにギターにも当たる。しばらく石を投げ続けたあと、床に置いたギターの弦の上に置きっぱなしだったE-BOWのスイッチを突然入れて持続音を出して少し経つとE-BOWを外してまたしばらく石を投げ続けて終了。石とアコギのE-BOWという組み合わせの妙があるなあと思った。終了後、ビニール袋に石を片付けていた。その後しばらく休憩して、直嶋君と平間君とみつ君のトリオ。開始と共に全員一斉にストップウォッチを押し、直嶋君はミキシングボードで音を出し、平間君は石を投げ、みつ君はふたつ目のストップウォッチで音を計る。みつ君の近くに譜面を置く部分を畳んでほぼ棒状にした譜面台が置かれていて壁に向かって影を作っている。2回くらい全員が何もしない状況があって、このとき、直嶋君はストップウォッチをある決まった場所に置き椅子から立ち上がっていて、みつ君はふたつのストップウォッチを床に置き、平間君も床にストップウォッチを置いていたような気がする。しばらく誰も何もしない時間があって、いきなりストップウォッチを拾って動き出すその瞬間が面白かった。壊れかかっている何かの機械がもう完全に壊れたと思って諦めたときいきなり動き出すみたいな。2回目だったかのそういう何もしない時間にこのあと全員でストップウォッチを拾って終了なのかなと思っていたら違った。身振りで演奏としてパフォーマンスとして何もしてませんよ、と示していた時間はどういう時間なのだろうか、ということなのかもしれないしそうでもないかもしれない。


10/8(月・祝)の21時すぎくらいに、いままでいたスタバが閉店してしまうので平間君と店を出て、席を立つ直前に親父から電話がかかってきて電話に出ながら外へ出ると、ただ単に、INFOBAR2が出るからいま使ってるtalby2台を換えたいというはなしで家に帰ってからAUのサイトを見てみると特別サイトで予告編(なんなんだろう、ケータイの予告編って)を見て、コンセプトモデルの時よりカドの丸さがいくぶんシャープになってなんだかよくなっているような気がしたが、深澤直人さんが森正洋さんのお悔やみのあいさつに来られたときに実家にもやってきたらしく、そのとき深澤直人さん本人はINFOBARのビルディングを使っていたらしく、私もいまのケータイ、携帯でもいいが、のINFOBARのビルディングを使いだして4年くらい経つので電池があまり持たなくて、INFOBAR2が出るのなら、それがコンセプトモデルの時よりカドの丸さがいくぶんシャープになってなんだかよくなっているような気がするのなら、換えてみようかと思う。


10/7(日)の15時半少しすぎくらいに、平間君と本町のシェ・ドゥーブルに辿り着く。この日の「com+position4」のことについては、近々開設されるであろう「com+position」のブログに感想文を書くことになると思うのだけれど、というか木下さんから書いてって頼まれているので頑張って書いてみるのだけれども、ここはここで書いてみるが誰のために書いているかというと、まず来れなかった人のためであって、その次に来なかった人のためであるし、これから来る人のためでもある。最初に江崎さんの曲「けまり」次に木下さんの曲、のタイトルはなんとなくは覚えているが忘れてしまったのであとで聞いてみる。(追記:木下さんの曲は「abundance」)次にみつ君の曲、のタイトルもなんとなくは覚えているが忘れてしまったのであとで聞いてみる。(追記:みつ君の曲は「四人の演奏者」)次に直嶋君の曲、のタイトルもなんとなくは覚えているが忘れてしまったのであとで聞いてみる。(追記:直嶋君の曲は「four positions of four Ⅱ」)江崎さんの曲はお客さんを挟んで窓側に直嶋君、みつ君、店の奥側に木下さん、江崎さんという配置。4人、3人、2人×2で音のラリーをするもので、直嶋君を除く3人の時になぜか直嶋君のソロがいきなり入ってきたりして、さっき3人って言ってたのに、と思ったりして面白い。途中も、あっ間違えたもう一回とかやっていて、手品みたいにそういう間違いも最初から組み込まれているとしたら面白いなあと思ったりもしたがそうかどうかは分からないしそこは別にどちらでもよい、というか作曲者の意図には特に興味はなくて、いまはそこで何を体験したか何を思ったかだけが気になる。木下さんの曲はお客さんを挟んで窓側に直嶋君、店の奥側に木下さん、江崎さん、みつ君という配置。木下さん曰く、直嶋君への千本ノックらしい。その言葉通り直嶋君はミキシングボードで割と目まぐるしく音を変化させていて、木下さんのバイオリン、江崎さんのトランペット、みつ君のフルートが、いろんな音のパターンを組み込んで行く。木下さんが「com+position」でやっていることを「建築的」だと言っていたことの意味がだんだん分かってきたような気がする。なんだかキャンプファイヤーのあの井戸みたいな形を組み上げているのを見ているような感じがちょっとした、のと同時に直嶋君のミキシングボードの目まぐるしく変わる音色があることで、自分が音楽で時間の経過を感じるときに、音色(音のテクスチャー)の変化による時間経過に慣れきっていることが分かった。それ自体大きく変化することのない楽器の音色のパターン(楽曲の構造)による時間経過にはあまり慣れていないようだ。みつ君の曲は窓側に4人横一列に並ぶという配置。ときおり沈黙を挟みながらそれぞれに長くも短くもない音を1人だったり2人同時だったり3人同時だったり4人同時はなかったような気もするが、様々な組み合わせで発していく、というのは終演後こっそりと楽譜を見てみて分かったことで演奏中は全然気づいていない。私は時間を計りながら聴くことはないし、上記のように楽曲の構造を時間の経過のうちに知覚するのに慣れていないので、ただぼんやりと窓から見える外を通る人達を見ながら聴くことしかできないが、終演後会場のまわりを散歩しているときに、音がある/ないで起こる人間のいないいないばあが面白そうだと思ったのは、みつ君の曲を聴いたからかもしれないしそうではないかもしれない。直嶋君の曲も窓側に4人横一列に並ぶという配置。ときおり沈黙を挟みながらそれぞれに長くも短くもない音を1人だったり2人同時だったり3人同時だったり4人同時はなかったような気もするが、様々な組み合わせで発していくのではなかろうか、というのはここまで3人の曲を聴いてきて慣れてきていたからか、終演後こっそりと楽譜を見なくてもなんとなく気づいていて、しかし気づいているからといってやはりまだ楽曲の構造を時間の経過のうちに知覚するのに慣れていない。とにかくまだ自分で楽しめていない部分が多いだろうことは分かっていてとてももったいない気がする。作曲者と同じような楽しみ方をする必要もないし、全く同じ楽しみ方なんてあり得ないけれど、それはそれで頑張っていきたい。ということでとりあえずここは終わる。少しは前進しているのだろうか。


10/9(火)の16時21分現在、いま22分になったけれど、「踊る大捜査線」の再放送をやっていて、刑事の足を使った捜査と、プロファイリングのデータを使った捜査が対立している。データはデータの前提を構造的に疑い得ないようになっている、ということなのだろうか。と書いたいまは16時25分。機械は推理しない、事実を述べるだけだよ、というような台詞があって、がしかし機械による事実が事実である根拠は機械の中には存在し得ない、もしくは機械の中にしか存在し得ないということなのだろうか。と書いたいまは16時32分。


10/7(日)の深夜2時すぎくらいに、厳密には10/8(月・祝)だが、会話を録音してそれをポッドキャストしたら面白いかもしれないというような会話からいつのまにか録音=ポッドキャストみたいな言い方が三人のなかで流行りだして、そういうなんだかよく分からない短絡そのものを楽しむみたいになってきて、録音をポッドキャストとしてアップしてそれを聞いてくれた人に録音してもらってまたポッドキャストとしてアップしてもらってそれをこっちでまた録音して、、、だとか、なんらかの内容を録音したカセットをレンタルボックスかなにかの誰もが見れる環境に置いておいて、それを持って帰って聞いてもらって、聞いたらまた返してもらって次の回の内容をまた録音してそのカセットをレンタルボックスかなにかの誰もが見れる環境に置いておいて、、、みたいなはなしをしていて、なんでもかんでもやたらポッドキャストと呼んでいたが、たぶん私たちはポッドキャストがなにかあまりよく知らない。少なくとも私はあまりよく知らない。


10/6(土)の18時半くらいに、演奏が始まって、直嶋君のソロ、平間君のソロ、休憩して直嶋君平間君みつ君のトリオ、休憩して磯端さん鈴木さん私のトリオ。直嶋君の展示はCDR50枚を手動のシュレッダーで裁断したその残骸と、その時の音を展示するもの。平間君の展示はアコースティックギターを壁に釘で打ち付けてE-BOWで弦を振動させるもの。私の展示は扇風機でティッシュを部屋の角に追い詰めてひらひらさせるもの。江崎さんはこれらを「インスタレーション」と呼んでいて、私は「展示」と呼んでいて、呼び方なんてどうでもいいが、呼び方ひとつで捉え方が変わるというかフォーカスが移動するという意味で全然どうでもよくないが、そもそもベストな固定した呼び方なんてあり得ないので困ったものでもあるが、なにかをいちいち「芸術」として楽しむことのなんとバカバカしいことか、やめればいいのにこんなこと。直嶋君の展示は、いまここにはないけど確かにかつてあったことの積み重ねがあるのだなあと思った。平間君の展示は、ギターのボディに穴があるのが妙な存在感だなあと思った。もらいもののギターらしくもらった時点で穴があったそうだ。E-BOWによるギターの弦の振動で壁が振動しているとかそういうことはとりあえずあまり思わないようにした。直嶋君のミキシングボードでのソロ演奏は、10分くらいの短めでというお願いをしたのでたぶんそれくらいだったのだろう。直嶋君は即興で10分くらいの時間はちょっとやりづらかったと言っていたけれど、私自身は10分を20分に感じるくらい、もちろん良い意味で2倍楽しめた気がする。イヤホンで音を出すのは面白いと思った。なんだか聴いているあいだ、ロエル・メールコップのCDを聴いているときの楽しさを思い出した。直嶋君の演奏がロエル・メールコップの音楽に似ているというわけではなくて、直嶋君の演奏を聴いているあいだの時間はロエル・メールコップの音楽を聴いているあいだの時間と同じくらい楽しいということで、これは大切なことだ。


10/8(月・祝)の19時すぎくらいに、平間君と梅田のマルビルのタワーに行ってうろうろして、東京事変の新しいアルバムが欲しいなあと思う。ロックのコーナーからさっき平間君がいたあたりに戻ってみると、テクノのコーナーで10/6(土)のライブに来てくれていたカミヤさん(すいません、お名前を聞いておきながらちょっとうろ覚えです)とはなしをしていて、私はこっそりとその後ろで田中フミヤのDVDについているミックスCDとリカルド・ヴィラロボスの新しいのを試聴して、どっちも欲しいがどうしたもんかと思っていると突然JPOPのコーナーに行ってないことを思い出してそっちに行っているうちにカミヤさんはいなくなっていて平間君を探して夜行バスの集合場所を通ってスタバの大阪ガーデンシティ店に行き外の席にいると雨が降ってきたので中へ避難するとちょうどさっきは空いていなかったソファの席が空いていてそこでしばらくぐうたらする。平間君のバスのチケットをなんとはなしに見ていると、バス会社の責任に関するなんたらかんたらのくだりのところに、天変地変、戦乱、暴動、その他なんたらかんたらと書いてあって、「戦乱」の文字を見た時点でホラ貝の音が聞こえてきて(というのは嘘ではないというと嘘になるが)騎馬隊とか鉄砲隊とか島原の乱とかそういうごちゃごちゃした「戦(いくさ)」イメージを思い浮かべていて、そのテーマでひとしきりふたりで話してなるべく控えめに爆笑した。


10/6(土)の13時くらいに、駄BOSQUEからいったん荷物を取りに家に戻って、駅まで縦に横にだらだらと隊列を延び縮みさせながら4人で歩いて向かう途中に、隣の人の気配をみつ君だと思って見てみると全然知らない人で、その人は高架をくぐったところで左に曲がって線路向かいの道のさらに向かいの歩道を歩いていってしまった。その人が高架をくぐってしまったあと4人で、いまひとり増えてたね、とか言っていて、こういうことがリップスライム「I.N.G」のPVに描かれていて

CMのプレゼンに使う絵コンテというのかそういうもののイラストの微妙な感じがなんだかリアルだなあと思う。


10/8(月・祝)の21時すぎくらいに、いままでいたスタバが閉店してしまうので平間君と店を出て、適当にハービス付近の地下道を進んでいると、いまどこに向かってるんですかと問われたので、向かっているところが向かっているところだ、といつか見たNHKの禅問答の番組を参考にしながらそれへのリスペクトとしてオマージュとしてアンサーソングとして答えてみてもいつか見たNHKの禅問答の番組へのリスペクトにもオマージュにもアンサーソングにもなるわけなくて、マルビルにあるタワレコと同じフロアにコカコーラの自動販売機と机一脚または一台など机の数え方には諸説あるらしいが、と椅子が二脚とこちらは諸説ないらしい、のセットがいくつか並んでいてカウンターの席もいくつかあるような、何かの待合室みたいな妙な場所で夜行バスまでの時間を潰すことにして、そこで、空間泥棒が空間を盗んだあとには懐中電灯でも照らせない「無」しか残らないというはなしをしたり、というか「無」が「残る」なんていうとそれはなにかしら「有」ることになってしまうといま気づいて、急遽変更して、そこになにかがあったという事実そのものが消え去ってしまう、そもそもなにもなかったことになってそれに誰も気づかない、ということにしたいと思うが、その他には豆腐を切ってもそれをまだ一丁と呼ぶかどうかの議論から、例えば豆腐が1cm右に移動したとしてその左側の1cmはどうなったのか、というはなしになって、わたしたちが必死になって考えだした結論は、その移動した分というのは、一旦事務所に戻ってから再度別の担当者を派遣するということで一応別の担当者が事務所を出る時にはこちらに連絡が入って、もしみんな出払っている時は改めて誰か担当者が事務所に戻ってきてこちらにやってくるまでの時間が空いてしまうということで、もしやってくるまでにもう一度右に動かしたりした時はこちらからその旨を伝える連絡を入れないと以前に動いた場所に別の担当者がやってきてしまうということで、このことを文章で書き表すのはとても難しい。


10/6(土)の20時20分くらいに、磯端さんと鈴木さんと私のトリオが始まって、私はふたりとは離れた場所、お客さんをふたりと私で挟むかたち、でもない入り口付近に陣取って、ふたりが音を出し始めるのを待って扇風機でティッシュをふたりの方向に向けて飛ばして、ふたりのところまで飛ばそうと思ったけれど、扇風機の風力の限界がそのままティッシュが届く範囲の限界でもあった。次に実家で買って送っておいた、なんとかスズさんといういかにもおばあちゃんっぽい名前の人が作ったというラベルの貼ってある早生みかんを食べてその皮を扇風機の前に置いていく。けれど、みかんの匂いがちゃんとみんなに届いているかどうかは食べている私には知り得ないことでもある。5個くらいみかんを食べてちょっとしんどかったが1個目を食べているあたりの映像をFUKUGANの村田さんがyoutubeにアップしてくれている。

しばらくして扇風機の前に置いたみかんの皮をコンビニ袋に片付る。そのあと、ふたりの演奏の切れ目というか一段落したところを見計らって、演奏開始時に消していたエアコンと客席の蛍光灯を点けて、家で使っているミルを使ってこの日の午前中にいつものオキムラコーヒーで買っておいた東ティモール産のコーヒー豆を挽き始める。挽き終わったらミルごと扇風機の前に置くけれど、コーヒーの匂いがちゃんとみんなに届いているかどうかはそれを挽いた私には知り得ないことでもある。ふたりの演奏の切れ目というか一段落したところを見計らって、挽いたコーヒー豆を持ってきたビンに入れフタをして片付け、さっき点けたエアコンと客席の蛍光灯を消す。そのあと、ふたりの演奏の切れ目というか一段落したところを見計らって、実際にうちで使っている洗面器に入った村田さんに沸かしてもらったお湯に入浴剤のバブを入れる。このときのふたりの演奏が前半とはがらりと変わりメロディアスな感じで私にはなんだか武士っぽく感じる音楽だったので、持ってきていたバブの、梅、藤、竹、のどれにするか迷ったが、梅の花の咲く下で斬りあう武士のイメージで梅を入れた。が、入浴剤だけに妙にまるい匂いで、どっちにしてもお風呂っぽくしかならない。梅のバブが溶けきった頃にはアブストラクトな感じになっていてもう少し続きそうだったので、次に竹のバブを入れてみるが、ふたつのバブの匂いが混じりあってかなりよくわからない匂いが充満し始めて、終演後そういうことをした自分自身が軽い頭痛に悩まされた。江崎さんの指摘で、みかん=天然の匂い、コーヒー=天然の匂い、バブ=人工の匂い、ということに気づいてそういう視点からもいろいろありそうな気もする。またこの次の日の「com+position4」の休憩中に米子君から、音だけとか匂いだけとか見た目だけとか何かだけではない感じでよかった、というような感想をいただいてとても嬉しく思った。


10/8(月・祝)の12時すぎくらいに、みんな起きだして、12時半くらいに江崎さんに電話するも出ないので13時くらいに月森に向かう旨のメールだけして、そのあとみつ君にも同じ旨のメールをして、12時50分くらいに家を出て月森へ。みんなでホットケーキやらドーナツやらコーヒーのマイルドやらダークやらカフェオレやら頼んでいると江崎さんからメールが来ていま起きたのですぐ向かうとのこと。みんなでなにやらわらわらと2時間くらい話したが内容はあまり覚えていなくて、そういうのがいいと思う。そのあとチケットショップを目指してJRの方まで降りて行くあいだに中古レコード屋に寄ったりチケットショップのあと宇仁菅書店にこの前なにやら揉めてから初めて行ったり口笛文庫に行くも天神古本祭り出店のためお休みだったりしたあと、その道を上がって阪急の線路に突き当たったあたりで江崎さんと別れて、なぜか全員と握手をして、一旦うちに荷物を取りに戻ってJRの駅までまた降りてそこでみつ君と別れて、なぜか全員と握手をして、JRで天満まで向かう。そのあいだに直嶋君がI Give Youといって直嶋岳史/川口貴大/ユタカワサキ/古池寿浩/竹内光輝/竹田大純/戸塚泰雄「Septet」をくれたが、、私はそれをI Love Youと聞き間違えて、というか聞き間違えたふりをして聞き返してみたり、したが別にそういう気(ケ)があるわけでもなく、私が全ての女性を愛していて全ての女性は幸せになるべきだと思っているというのは、このあとの天満の居酒屋で直嶋君と平間君に語ることでもある。とこれを書き終えたいまは10/10(水)の深夜1時6分。と書いているうちに10/10(水)の深夜1時7分に。