日付は変わってしまいましたが、今日お会いしたみなさん、こんばんは。
私は名刺を持っていないので「小田寛一郎」で検索すると僕のサイトとかいろいろ出てくるので、と
私のメモの切れ端やらあなたの手帳の片隅やら
私たちが出会うきっかけになったとある展覧会のリーフレットの表っかわやらに
私の名前を書いてお渡しさせていただいたみなさんが検索して
ここに辿り着いてくれると信じていまキーボードを叩いています。
現在時刻は11月26日の午前1時34分なのですが、
家に帰り着いたのが1時5分くらいで、
最寄り駅の阪急六甲に最初に着いたのが日付が変わる前11月25日の23時40分でした。
最寄り駅に着いてから自宅まで1時間とちょっとの時間がかかっていますが
なにも最寄り駅から自宅まで1時間とちょっとかかるというわけではなく
そして途中どこかに寄っていたわけでもありません。
あの居酒屋を最後まで残っていたKさんKさんHさんIさんと建築をやってらっしゃる方と私の6人で出て
店の前で別の電車で帰るHさんKさんと別れ、もうひとりのKさんとIさんと建築の方と
高速神戸駅から阪急に乗ろうとした時に、所持金が134円くらいしかないことに気付き
これはどうするか、お金を借りるかどうするかちょっと考えて、
とりあえず120円の切符を買い、ここからの選択肢として
1-電車の中でお金を借りて六甲で乗り越し清算する
2-120円で行ける三宮で降りて歩いて帰る
3-六甲まで行って妹を駅まで呼びお金を借りて乗り越し清算する
の3つがあるかなあと思い、とはいっても切符を買う時点で借りるという決断をしなかったので
つまるところ借りるという選択肢はそもそも最初からないわけで、
それがなぜかというと次にいつお会いできるか分からない方々からお金を借りるわけにはいかない
というのはもちろん建前で私は変なところで強がりだからです。(でも折れる時は率先して折れます。)
というよりもこのトラブルを楽しみたいからです。
というわけで電車に乗った時点で選択肢は変化しています。
何食わぬ顔をして六甲で降りるのは決定していて、そこから
1-妹を駅まで呼ぶ
2-三宮まで戻り歩いて帰る
の2つの選択肢があります。
姉を駅まで呼ぶのは選択肢には入りません。
何故なら次の日の朝早くに仕事に出て行く姉はもう寝ているだろうからです。
そして、Kさんといろいろお話させていただいているうちに電車は六甲に着きました。
当初の予定通り何食わぬ顔をしてみなさんに挨拶をして電車を降り、
階段を昇りながらまずは妹に電話をかけてみましたが出ません。
もう一度かけてみましたが出ません。
出たところで駅まで来てくれるかどうかは分かりません。
仕方がないので反対側のホームに行くあいだに新たな選択肢を思い付きます。
3-改札を通らず反対側の道路に面したホームの柵を越えて駅を出る
というものです。
しかし私はしばらくしてやってきた急行新開地行きに乗りました。
2-三宮まで戻り歩いて帰る
を選択したわけです。
柵を越えるのはたぶん簡単ですが三宮まで戻って歩いて帰る方が面白そうだと思ったからです。
私は三宮で電車を降り改札を出て東口から駅を出て、線路に沿って東に歩き始めました。
その道中、とにかく心頭を滅却して歩く、というか、
歩いているあいだにこの歩いているあいだのことを帰ってからどのように文章として書こうか、
ということだけを考えて歩いているあいだのことはどのように書けるのかということを考えました。
しかし、やはり歩いていると、いろんなことが目に入ってきますしいろんな音が聞こえてきますので、
歩いているあいだにこの歩いているあいだのことを帰ってからどのように文章として書こうか、
ということだけを考えて歩いているあいだのことはどのように書けるのかということを考えるなんて無理でした。
歩いているあいだに見たもののなかで記憶に残っているのは、
つまりはなしの目印になりそうなものということなんですが、
紙パックの1リットルの牛乳を売っている自動販売機や、
タクシー専門の洗車屋さんの隣にある自動販売機のよこにペットボトル風車があったことや、
王子公園を過ぎたあたりで黒猫が轢かれていて、動物が轢かれているのを見て可哀想とか思って同情したら
動物霊がついてきてしまうという小学生の頃に聞いた噂を思い出して同情しないようにしたことや、
そこから少し行ったところの高級(らしき)マンションの入り口に自動ドアをはさむかたちで
コンクリートだかなんだかとにかく固い素材の球体が(オブジェとして?)路上に置いてあって
そういうのがあること自体は前から気付いていたんですが、いい機会なので
足の裏でちょっとぐいっと向こうに押してみてもビクともしなくて、それならばということで
足の裏でボールを回す感じでぐいっとやったらキュキュという音を立てて回ったことや、
50分ほどかけてさっき一度は立ち寄った阪急六甲駅に着いたときちょっと笑えたこと、
などです。
現在時刻は11月26日の午前2時29分で、ここまで書くのに1時間ほど費やしています。
ところで大事なことを書き忘れていました、といっても本当に忘れていたわけではなく、
単なるはなしの繋ぎとしてこういう一文が必要になったから書いただけですが(笑)
今日じかにお会いしてお話させていただいたみなさんは
ここに書かれているもろもろの文章を読んでみて、
それらを読むことで受ける私のイメージと
実際に会って話をして受ける私のイメージとの
違いに戸惑われるかもしれない、ということについてです。
私が思うに「文章を書く」ということはなんらかの単一のイメージに
勝手に収斂していくようなところがあるようです。
これを書いているのは確かに今日あなたがお会いになった私なのですが
どっちかというとここに見えるのは「文章を書く、私」のイメージのようです。
「書く」ことで勝手に流れていって最終的にあるイメージに行き着く、というような
特性が書き言葉というものにはもともとあるのかもしれません。
それは書き言葉が常に矛盾のない状態を志向するからかもしれませんし、そういう志向があるから
どこかの落としどころを勝手に探して来て差し出してくるということかもしれません。
ちょっとはなしがずれそうなので、何が言いたかったかといいますと
実際に顔を会わせている私たちのあいだにおいては、おそらく
どのような矛盾も矛盾として含まれ得るのではないかということです。
こういうところでは、どんな矛盾も矛盾そのものとしてとりあえずは共有されてしまうのかなあと思います。
そしてそれを私はとても面白いし、とてもいいなあとも思っています。
というようなことを三宮から六甲まで歩いているあいだ考えていました。