今度の選挙について姉と話していて
姉は選挙権を得てから10年近く一回も投票したことがなく弟と妹に諭されて
今度の選挙には不在者投票で参加するつもりらしく
民主党の小沢代表だか代表代行だか代表代理だか代表候補だかが
テレビで言っていた新しい年金システムについて
低所得者層は消費税だったか税金を財源にした底上げを施して
年収600万円以上だったかもっと上だったかの高所得者層には
その底上げをせず基礎の年金だけで我慢してもらうというような
詳しいことを知りたければ自分で調べた方がいいというような
あくまでというようなはなしをしたら
頑張った人が損をするなら誰も頑張らなくなるとか
運も頑張りのうちとか
人は国(他人)のために頑張るんじゃなくて自分のためにしか頑張らないとか
頑張らなくていいのならわたしは頑張らないとか
そういうことを言っていて
あくまでも自分の暮らしを自分でやっていける人が
この仕組みの要素として成り立つのであって
こういう仕組みにしたところで頑張る人は頑張るし頑張らない人は頑張らないというか
そもそも頑張る/頑張らないという思考自体が私にはさっぱり分からないし
何が[頑張る]で何に[頑張る]のか私にはさっぱり分からないし
自分のために頑張るということはその見返りを求める限り
自分以外の見返りを与えてくれる存在を必要とするつまり
他人のために頑張るということで
他人のために頑張るということはいくら断っても見返りを受け入れざるを得ないつまり
贈与の交換という一種の[交換]に巻き込まれるということつまり
機械のように自分以外のためだけに頑張り続けることは社会のシステムが許さないことつまり
自分のために頑張ることにもなってしまうということで
レヴィ=ストロースを読んでいるとこういう交換がとても面白く感じられるのだが
例えば絵画でも音楽でもイラストでも小説でも批評でも詩でも映像でも彫刻でもなんでもいいが
まあ一般に創作行為と言われるもので必ずしも人に見せるという前提のないものについてよく言われる
[自己満足はダメだ自己満足のものに価値はない]というのは
[自分と自分とのあいだで行われる閉じた循環があってはならない]また
[自分以外の全てという意味合いでの他者に向かって開かれなければならない]ということであって
これはまた芸術の循環(交換)という一種の[交換]を駆動させる[禁止]の意味合いもあると思うのだが
これもその禁止それ自体には意味はなくてそれが[交換]を駆動させるから[禁止]として成り立つのであって
[交換]を駆動させるためにこのような[禁止]があると思うのだが
これを結局はみんな理由はよく分からずとも受け入れてしまうというか受け入れざるを得ないのは
[人という字は互いに支えあっている]とか[人は独りでは生きられない]とかそういうような
まあそういうようなよく聞くようなことというか
人が交換を基礎にして社会を作っていることというか
人間にとって自分以外のあらゆるものとの関係がすべての基礎になっているような気がすること
とかに繋がっているんだろうと思うとか書いてみたところで
みんなが出発してしまった後のスタートラインに少しづつ近づいているだけで
みんなにとってのスタートが私にとってのゴールであるというのも
それはそれでなかなかいいかもしれないとも思う。