たぶんよく言われることだと思われるけれども、休みなく働くことが美徳とされる(場合がある、または、そういう人がいる)のはいったいなんなのか。残業や休日出勤にしたってそうでもしないとできないほどの仕事があると言えばそうなのかもしれないが、残業や休日出勤の別の機能として、それをやっていれば「自分を犠牲にして頑張っている」ことになり、みんなから一目置かれたり、気遣ってもらえたりする。「自分を犠牲にしてまで頑張っている」人には優しいという、日本人のなのか、日本社会のなのか、わからんけど、そういう特性があるから、無理をする、あるいは休まない・楽をしない、動機が生まれる。つまり、みんな、大変そうな人には優しいから、自ら大変であろうとする動機が生まれる。変なふうに苦労が好きというか・・。そういう環境にいると、苦労人の苦労話とか好きになるんだろうし(自分の苦労も報われたいから?)、だからこそ「苦労していない(と思われる)人」には、妙に厳しい。自分の基準で見て非苦労人に見える人も、その人の基準においては苦労しているかもしれないのだけれども。話がずれた。つまり、休まない・無理をする・自分を犠牲にして頑張る、ということは、かなりの割合で「言い訳」というか、責められないための「予防策」でしかないような気がする。誰から責められるかというと、たぶん、自分のなかの他人(まあ自分だが)から。あとまあ、世間、という名の仮想の人格から。自分の意志で休まない、というのは、勤勉の域を超えている。誰にも文句を言われない立場に自分を置きたいのか。そういう、自分の意志で休まない人が、ひとりで自己満足の苦労をしている分にはいいのだけれど、自分と他人の苦労を比較しだすと、非常にやっかいになるような。誰かを苦労競争に巻き込んで、かつ、苦労競争の先頭を走りたいみたいなことになる。誰よりも苦労しようとしつつ、他人の苦労に文句をつける、あるいは、他人の苦労に文句をつけて貶めることにより自分の苦労の価値を高めるみたいな最悪の事態にもなりかねない。相手や周りに、引け目や負い目を感じさせることで、自分に有利なように物事を運ぼうとする、のも関係ありそう。他人を支配する方法のひとつ。嫌なやり方だ。