募金で思い出したけれども、小学生の時に、低学年くらいか、テレビで「募金」というものを知ったか、どこかで「募金」箱なり「募金」行為なりを見たのか忘れたけど、たぶん募金箱を見たんだと思うが、お菓子を買う小遣いを得るべく、家の風呂の前の廊下に募金箱を設置したことがある。どんな理由で募金を募ったかは忘れたけれども、募金はまったく集まらなかったことは覚えていて、でも毎日入ってるかなーと見るのは楽しかったが、いつまで経っても入ってないから悲しくなってやめた。家族の誰も、何故やるのか聞かないし、やめろとも言わなかったのが、いま思えば不思議ではある。来週の東京行きのホテルを予約した。銀座で仕事なので新橋。新幹線往復も買わないと。いわゆる普通の人々、普通に働いて自分の生活があってそれ以外の活動に時間やお金を割けない、あるいは割く動機または割くための方法を持たない人々、つまりは私たち普通の人々のことだけど、そのような人々が今後長期的に、今回の震災の復興に興味あるいは関わりを持てる、それも限りなく低コスト・低い敷居で、方法はないもんか。問題意識を強く持つ一部の人はほっといても活動するからよしとして、いわゆる普通の人々が負担なく間接的に関われる方法があればいいと思う。たとえば、被災地におけるなんらかの活動内容を応援する、という形で募金するとか。俺はコミュニティに関する活動を応援するために募金するぜ、とか。普通、募金って細かい使い道はおまかせだけど、使い道がある程度見える形で募金ができると、自分と被災地との関わりが見えやすいかもしれないが、どうなんやろな。ああ、あとこれは被災地に限らずできるかもしれない。まあ動機付けが難しいな、なんにしろ。今やったら動機には不自由しないけど、そのうちなくなっていくだろうし、その意味で被災地以外に拡張するのは難しい。地域ナショナリズムみたいなもんに訴えるのもなんかなんだかな、だし。