誰かは分からんとはいえ行動パターン的にそのへんによくいるのは近所の家の若者とその仲間たちだと思われるが、わたしの家の前の消火栓のところに発泡酒の空き缶とかタバコの吸い殻とかマクドナルドのコーヒーのカップとかを捨てていくのは、なんというか、捨てようと意識して捨ててるわけじゃなくて、ゴミが出たらそこらへんに置いていくのが普通だという文化に生きているからやるわけで、いやもしかしたら何らかの信念を持ってあえてそのへんにゴミを捨てているのかもしれないし、当人にとってはゴミじゃなくて草木の肥料として草むらに捨てているのかもしれないし、使用済みの不要となったモノをそのへんに置いておくのが健康に良かったりするのかもしれない。出たゴミはそのへんに置いておくという環境、そういう文化のなかでそれが当たり前として暮らしてきたのだとすれば、まあ誰のせいでもないので、だったら、いくらでも捨てていいけどその代わりわたしに片付けの手間賃をちょうだいなというのはアリかもしれない。自分が出したゴミの処理についてどうするのか、なんとなくではなく自分で選んでやってくれれば、どちらでもよいような。捨てないなら捨てないでよし、捨てるなら捨てるで代わりに片付けているわたしになにかしらの対価を払えばよし。