認知症のばあちゃんが入っている施設に毎日行っていて思うのだけれど、やっぱりどうしても、じいちゃんばあちゃんたちと職員さんたちのペースというか時間感覚がずれていて、お互い大変そうだ。トイレに行くにしても、行く途中で別のことに気をとられたりするので、まっすぐは行ってくれない。なので、


どうしても職員さんは、こっちこっち、行こう行こうと急かすことになってしまう。けれども、まっすぐ行かないからといってじいちゃんばあちゃんが困るわけでもなく、むしろ困るのは職員さんで、人手が限られているためひとりにたくさん時間をかけられない。だからお互いの時間感覚がずれてしまう。


誰かをトイレに連れていく最中にもどこかの部屋で職員呼び出しボタンが押されて音が鳴ったり、他のじいちゃんばあちゃんから呼ばれたり、するので、大変そうだ。なにかの仕事をしている最中にどんどん他の仕事が割り込んでこようとしてくるので、それだけでもかなりのストレスになるような。


しかしどうやったら、じいちゃんばあちゃんと職員さんのお互いにいいようになるのかはよく分からない。介護する人を増やすとか、あるいは「介護予防」により要介護のじいちゃんばあちゃんを少なくするとかもあるが、いまある時間感覚のずれをどうすればいいかは分からない。


そして、じいちゃんばあちゃんの好きなようにしてもらえば、それでいいかというとそうでもなくて、認知症のじいちゃんばあちゃんたちの場合、好きなようにすることが必ずしも本人のためになるとは限らないのが難しいところ。たとえば、うちのばあちゃんは歯磨きという概念がなくなっているようで


歯磨きを自分ですることはないし、人に磨いてもらうのもできない。口のなかを清潔に保つのは、寝ている間に口の中の細菌を飲み込んでしまうことによる誤嚥性肺炎の予防になるのだが、うちのばあちゃんの場合、何度やってみてもどうしても無理なので、どうしたもんか、どうしようもない。


本人の健康(や生命維持)のためにはやった方がいいのだが、その本人自身がすごく嫌がるのでできない、というジレンマ。たぶんこれは「ケア」についての根本的な難しさなんだろう。これ、パターナリズムも関係あるような。個人の判断と自己決定をどう考えるか・・。