本日はばあちゃんとこの敬老祝賀会と家族会があるので10時過ぎに出発し5分前くらいに着いた。2階療養棟の祝賀会会場にはうちのばあちゃん以外のほぼすべての動ける状態のじいちゃんばあちゃんがやってきていて(集められていてともいうが)、うちのばあちゃんはいつものソファの横の椅子に座っていた。うちのばあちゃんは、あまり人に言われて動く性質ではないのと、なんかこう催しのようなものには積極的に参加する性質ではないようなので、行きたくないらしい。あまり強引に誘うと意地になって「行かん!」となるし、そっと誘っても「いやー、恥ずかしいから行かん」みたいな感じだし、そもそも無理に参加しないといけないものでもないので、こちらもそんなむりやり誘う気もなく、会のあいだはいつものごとくしゃべって過ごす。祝賀会では浮立をやっていたっぽい。音が聞こえてきた。3部に分かれていて20分くらいやってたか。途中でばあちゃんと同室のばあちゃんも会を抜け出してきた。祝賀会のあと、同じメニューの昼飯を一緒に食べたのち、家族会。じいちゃんばあちゃんたちの家族だけの会。リハビリの設備ややりかたについてのお話、普段の生活の様子を写した写真のスライドショーのあと、同じテーブルにいる家族と施設のスタッフでお話をする。やはり悩みであったり直面している問題はかなり似通っているので、家族同士の会話が日常的にあればいいかもしれないが、施設に来る回数・時間帯がバラバラなのでそういう機会はまったくない。あとやはり思うのは、じいちゃんばあちゃんたちはどうしても弱っていくものなので、弱っていくなかでどのように一緒に暮らせるかということを制度としてなり、意識としてなり、生活様式としてなり、なにかしらあった方がいいのかもしれないと思う。育児と介護を「家」ないしは「女性」に押しつけるのはやめようというはなしがあるが、ではどういうふうにみんなで暮らしていこうかなというはなし。じいさんばあさんで言えば、介護が必要になる前の段階が重要な気がしていて、なるべく自分で生活できる方がいいのは言うまでもないけれども、だんだん弱っていくなかで、誰かの助けが必要になる前にどういう準備ができるのか、じいさんばあさん本人と助けを提供できる誰かが一緒になって考えられたらいい。なんかこう、なんとなくだましだましギリギリまでじいさんばあさん本人+家族(だいたいはそこのお嫁さんだが)でどうにかしてもらったあと、いよいよどうしようもなくなって施設へ、というパターンが多そう。これは本人にも家族(だいたいはそこのお嫁さんだが)にも、あんまりいいことないような。