ディアスポラ」はだいぶ前に読み終えて、書いたっけな、忘れた。次に「万物理論」をよなさんに借りておととい読み終えた。「談」の88号「リアルはどこで生まれるか」と「本当にわかる 社会学」という怪しげな書名のと、ジジェクの新書をこの前ジュンク堂で買って読みつつある。昨日ツタヤで借りて、「月に囚われた男」と東のエデン劇場版その2を見たが、月に〜のクローンの話で思い出すのは「順列都市」の最初らへん。こっちはソフトウェアとしての自分のクローンだけど。月に〜の世界では、クローンを永遠に働かせるのが違法っぽいのが不思議だった。その設定がさらっと流されてるのが。あと、スカイクロラも思い出すが、クローンの輪廻転生、循環というより反復かもしれんけど、ということで比べると、スカイクロラを見たあとにがっくりしてしまうのがなんとなく分かる。月に〜はわりあいハッピーエンド、というか整理しやすいのか、だけども、スカイクロラはそうでもない。月に〜でいえば、囚われている状況は続く、という終わり。でもまあ最後がどうあれ、どちらも似たようなものかもしれない。今日自治会バスツアーの追加参加者から預かったお金を担当の区の副会長に渡しに行くついでに、西宮北口の図書館に寄ったら、けっこういろいろあった。ジュンク堂で、伊藤計劃虐殺器官」と小島信夫「美濃」。なんというか、そろそろSF以外を読もうと思ったが、虐殺器官は買ってみた。イーガンを読んでて思ったけど、SFって、SFに限らんけど、小説っていう形式が透明なもんとして扱われているから、さくさく読める。形式の部分には抵抗がないように作られている。小説でなにをするかという内容が問題だから。かといって、逆に、小説とはなにか?みたいな小説ばかりでも困るけど。それに、素直にストレートに、「〇〇」とはなにか?を問う〇〇は、いまのところ、疑いの目を向けられている気がする。意味あんの?というのもあるけど、(想定される)機能を果たしてんの?という感じなのか?〇〇には同じ単語が入る。虐殺とはなにか?を問う虐殺とか。意味わからんけど。虐殺器官はいまから第4部に入る。書き忘れ。ブックオフオンラインで、中山英之「スケッチング」と猪木武徳「戦後世界経済史」と野村武夫「『生活大国』デンマークの福祉政策」。リビングの椅子の後ろを通るときになんか柔らかいもんを踏んだなと思ったら芋虫だった。「スケッチング」はさっと読める。スケッチみたいな本にしたとのこと。たしかに中山英之は同年代の建築家と(も)、建築の発想の仕方が違う。でもまあそれはみんな違うけども。