土曜日はわりと仕事が忙しい気がする。ディスカバリーチャンネルアニマルプラネットとなんだっけナショナルジオグラフィックだったか、とヒストリーチャンネルがあれば、一日中見てしまうかもしれない。いまヒストリーチャンネルではホットドッグの歴史みたいなのがやっている。このまえピザの歴史をみた。といっても、アメリカ人は何を食べてきたか、というやつなので、アメリカの食の歴史。ギャングの歴史も見た。カポネ。パチーノ。デニーロ。ケーブルテレビおもしろいな。専門性がたかいよね。図解!マーケティング入門!みたいな本を読んでみて分かったのは、マーケティングっていうのは、誰かが欲しがるものをつくるためのものであって、自分がつくったものを売ったり知ってもらったりするためのものではない。マーケティングというものがその目標となる対象を決めないと始まらないことからも明らかだ。20代後半から30代の女性、OL、とか。とはいえ、自分がつくるものに、誰かの視点をどういうふうに取り込むか、を考えるうえで役に立つ。どうしたら、「欲しいか/欲しくないか」の次元から抜け出せるか、にも繋がるかもしれない。とりあえず、ちょっとまえから心がけているのは、自分が欲しいものをつくらない方が、誰かが欲しがる可能性が高い、ということ。自分が欲しいものをつくると、たいていは自分に似た人しか欲しがらなくて、とかいうよりも、まずもって「自分が欲しいもの」はあまりにありふれていて、もう世の中にあるから。しかも、ものすごく洗練されたものが。なので、「自分が欲しいもの」はあまりあてにしない方がよい。音楽でいうなら、いま私がほしいのは、ミニマルテクノかポップスなので、そういうもので素晴らしいものは過去にも現在にも未来にもたくさんあるだろう。なにも自分でつくる必要はない。実家にはジャズのCDしかなくて、FMラジオを聞いているとときどきうっとうしいので、恋愛のはなしばっかりのときとか。会社の先輩にあこがれていて、きついことを言われたときは傷ついたけれど、いつも背中を見つめていました。告白もできずに別の会社に移ってしまいますが、これからも頑張って下さい。とかいうことを、なぜ公共の電波にのせないといけないのか。それを、なぜ、私が、聞かないといけないのか。うっかり見知らぬ人の恋愛話を共有させれらてしまい不快な気分に。でもうっかり見知らぬ人の個人的な思い出を共有、っていうのはそれはそれで面白いかもしれない。なので、ラジオをやめてCDにする。父ちゃんが持っているのはジャズのCDばっかりだが、別にそんな興味もないらしい。CDクラブっていう月々CDが送られてくるやつに加入していたことがあって、そのあいだ送られてきたものらしい。とはいえ、興味があるから「ジャズ」で申し込んだんじゃないのか。そのなかのいくつかはもらいうけて神戸に持って帰ったりしている。ジャズってまあどれも雰囲気は似ている気がするが、解説を読みたくさん聴いていると違いも分かってくる。というか、解説が面白い。マイルス・デイビスチャーリー・パーカーのグループにいて、ジョン・コルトレーンマイルス・デイビスのグループにいて、とか。ジャズ界では当たり前の知識かもしれんけど。いろいろ聴いてみて面白かったのは、それぞれの時代の違いかもしれないけれども、エリック・ドルフィーコルトレーンの「ジャイアントステップス」と世路に明日文句。セロニアス・モンク渋谷慶一郎さんのブログで、刀根康尚さんが「ジャズってつまらないじゃない笑」と言っていた、というのがあったけど、たしかにそうかも。まあつまらないっちゃあつまらない。この現代で、CDで、ジャズを聴く私は、おそらく「雰囲気」を聴いているに過ぎない。たとえライブを観てもそうだろうな。音楽って、うっかりすると、雰囲気・ムードの再生産になってしまったりする。知らないうちに。主に聴いている方が。聴いている方=やっている方でもある。よくもわるくも音楽って雰囲気よね。そこは否定できないよね。ジャズにもフリージャズにも現代音楽にもノイズにもテクノにもロックにもJPOPにもヒップホップにも特有の雰囲気はあるよね。その雰囲気を自分にまといたいからそのジャンルを選択したのか、その逆なのか、もはや判別不能よね。そこはもう「自分のやりたいことだから!」って押し通すしかないよね。でも押し通せないから困っているのよね。いや、そこが面白いところよね。