そういえば、私も「悪霊」をさいきん寝る前に読んでいて、昨日のった地下鉄御堂筋線でみかけた女性が読んでいたのは「悪人」で、まだ特に大きなことは何も起こっていないのですが、もうそろそろ起こるよー、というところですが、といっても、もちろんなにかしら起きているのですが、原田郁子「ピアノ」は妹のを借りっぱなしで、ジャケがいい。たまたま見つけた、といっても「山下達郎」で検索したから、たまたまとはいえない。最初に出てくる男が孤独でどうとかいう文章と、ホームレスらしき男性がエアピアノで(山下達郎の声で)唄いだす姿にちょっと泣きそうになるが、「あまりの孤独に、その男は悲しんだ。」ってなんのことだか。孤独だから悲しい、ってなんか変。孤独は孤独じゃないのかしら。見ながら先がどうなるのかいろいろ考えていて、亡き妻(別れた妻?)らしき女性に連れられて、地下鉄に飛び込むのかと思ったり、いやいや、達郎ですよ!と思い直したり、いやー、でも地下鉄のなかでダンスは、妄想、幻影にしてもちょっとやりすぎというか、地下鉄で「たくさんの人を見た」というささいなところからおじさんが新たなスタートを切る、のがいいんじゃないの、とか思いながら、PV冒頭から漂っている「このおじさん、たぶん死ぬ」という感じは裏切られ続けるんだろう、だって、達郎ですよ!という気持ちでいると、割と最後にびっくりする。分かってはいるのだが、だって、達郎ですよ!と「このおじさん、ぜったい死ぬ」という感じの綱引き。冬(秋?)+ホームレス(+まぼろし?)は「死」の象徴なのだろうか。明石家さんまさんの引き笑いを「クワー!」で表現したほぼ日刊イトイ新聞の連載「ほぼ日の睡眠論 さんまシステム」はいい翻訳をした、というのだろうか。そうだろうなあと思う。ベンヤミンの「翻訳者の課題」はきのう読んだ。


山下達郎「FOREVER MINE」