木曜日のことふたつ。大和川レコードこと朝田君がチーフディレクターをつとめる築港ARCで配信しているネットラジオに音源(音声?)を提供しました。→http://www.webarc.jp/2008/02/08012148.php 朝田君、米子君、ちゃたに(?と聞こえましたが間違っていたらすいません)さん、ありがとうございます。「毎週木曜日はSpecialThursdayと題しての特別企画。今月2月は“笑い”をテーマにして4組のアーティストが作品制作に取り組みます。」とのこと。ききどころは、最初は緊張して口調がかたいのがだんだん慣れてきてやわらかくなっていくところです。一発録りです。最初に言うこと(ごあいさつ?)だけはあらかじめ文字として用意しましたが。あと、番組冒頭で米子君がふれている「野外録音」についてはこちらを参照のこと。→http://d.hatena.ne.jp/k11/20070706 録音しているあいだはしごくまじめにやっていて、録音直後にそのテンションのまま聞き返してみてもぜんぜん面白くなかったのですが、いま聞き返してみるとバカバカしさがいいかもなあと思います。いかがでしょうか。ああ、あと、4月の京都のライブを告知してもらって、ちゃたに(?と聞こえましたが間違っていたらすいません)さんがなにやるんだろうねえ、とおっしゃっていて、何をやるのかぜんぜん決めていません。磯端伸一さんと木下和重さんという大先輩とのトリオなので、なにをやってもふたりがなんとかしてくれるので安心というか、胸を借りるつもりでやります。まあ他人に寄生するのはいつものことですが。梅田からアメ村のFUKUGAN GALLERYまで歩く。その途中に丸ビルのタワレコに寄って、ジュンク堂に寄って、その地下のインデアンカレーでカレーのたまご入り、ふたりいた男性店員のもう一人が車にスピーカーを付けただかいいやつに換えただかしたらしく、もう一人曰く、彼女が喜ぶねえ、とのこと。歩いているあいだにかんがえごとをしていたけれども、なにをかんがえていたかはもう思い出せない。おととい(日付としてはきのう)の夜にはテレビで「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。「Nuovo Cinema Paradiso」を「ニュー・シネマ・パラダイス」というのは微妙な感じもする。『Solos #2』はたいそうな盛況。最初は木下さん、次は西川さん、最後にマーティンさん。木下さんの演奏は、ひざに置いたヴァイオリンの弦を一定のスピードで弓でギイギイギイギイギイギイギイとやる。指板のナットのあたり、まんなかのあたり、駒(いまwikipediaで調べた)のあたり、をそれぞれ正確には分からないが7、8分ずつあいだに1、2分くらいのインターバルを挟んで、ギイギイギイギイギイとやる。もちろんそのギイギイギイギイギイギイのなかには微妙な音色のグラデーションがある。二回目、指板のまんなかあたりをギイギイギイとやっているときに、木下さんははずみで弓を落とす。こういうとき、それが「即興」であれば、そこで(しばらく間を置いたりはするだろうが)演奏を終える可能性が高いような気がして、でも私はそれが「作曲」作品であるような気もしていたので、おそらく弓を拾って、あと何回かは分からないがともかくギイギイギイギイが始まると思っていて、弓を落としたあとのインターバルとそのあとのギイギイギイギイギイギイにそういうことを考えていた。「作曲」の特性がそういうところにあるような気もする。そのときの「生きられる」状況と「決め(生き)られた」ルールのぶつかりあいというかせめぎあいが面白いなあと。それが別にアクシデントでなくとも。そして、いま、なにかしらの純粋な無菌室のような空間(が可能だとして)で、「作曲」作品を「純粋なそれだけ」として上演しそれを受容すること、ないしはそのような志向性に、現代に生きる私(たち?)が豊かさを見出すことができるのかなあ、とも思った。「作曲」作品から「物語」もしくは「感傷」を引き出すことが私(たち?)にできないとすれば。また、理想的仮想空間でしか成り立たない(とされる)ものからなにを引き出したらいいのか、という。「作曲」という(呼ばれる)ものをそれ自体で自足するなにかだと思ってしまうと、結局どこにも辿り着かないのではないかしら、という。もちろん木下さんの演奏はそういう罠にはまったりしてない、と思う、たぶん。ちょっと到着が遅れていた西川さんが辿り着いたのが木下さんの演奏中で、中に入らず何回かドアの外から覗いていたのが面白かった。西川さんはアコースティックギターによる演奏で、最初はナットとペグのあいだの弦をチャリンと鳴らしたりボディを指でギュギューとやったり、しつつ次はそれにハーモニクスを挟んだりしつつ、だんだんと展開。さっきの木下さんのときのかんがえごとと繋がっているのかどうかは分からないが、西川さんの演奏中、私は演奏とかそういうことをやるときに、まっさらな白紙の状況で、なにか価値あることを起こす、というふうに考えがちで、そう考えていないつもりでもやっぱり考えがちで、「なんにもないところでなにかを起こす」という思い込みなんだよなあ、となぜだか思った。だからどうということまでは思ってない。マーティンさんは、マーティンさんの機材が乗っているとおぼしきイスには電動ハブラシとプリングルスの缶みたいなのとラジオとなにかの機器とがあってそれらの機器と繋がっているボリュームペダルが床にはあって、サックスじゃないの!?と思っていたら裏からサックスを持ってきた。そして演奏前に、前のほうに座っていたというか私のとなりあたりにいた女性(ふたりに?)にウインクをする。サックスになにか平べったい機器を入れて、プリングルスの缶みたいな缶を入れて、さきほどのウインクがあって、演奏開始。あれをなんというのか知らないが、サックスの筒の部分のフタというかそういうところがパカパカ開いたり閉まったりしてるのがなんとなく愛嬌がある。しばらくしておもむろにプリングルスの缶みたいな缶をそーっと右手で取り出して、その缶をどうするのか!と見ていたら、右手でクルクルと回し始めてカサカサと回す音がする。それと同時にサックスのマウスピースというのか口を当てるところにベロをペペペペと当てつつそれで吹き込む息に音程を与えたりする。いい大人が右手でプリングルスの缶みたいな缶を回しながら、サックスをベロでペペペペとやっているだけで、それだけでいいじゃないですか!と思う。たまにラジオとなにかの機器と繋がったボリュームペダルを踏むと、サーというホワイトノイズが聴こえる。ホワイトノイズとプリングルスの缶みたいな缶を回すカサカサいう音とペペペペのコンビネーションというか切り換えのタイミングがシャキシャキしててさっぱりしている。演奏終盤までサックスのなかの平べったい機器をマイクだと思っていて、サックス内部の音をマイクで拾ってそれをラジオのスピーカーから出力していると思っていて、実はサックスのなかの平べったい機器はスピーカーで、ラジオのホワイトノイズをアンプ(増幅するだけでスピーカーはついてない)を通してサックス内部のスピーカーから出していた。サックスのなかからサックス以外の音を出そう、という気持ちがなんか変というかほほえましいような気もする。あと、プリングルスの缶みたいな缶だと思っていた缶は、演奏終了後に聞いてみたらスコッチウイスキーの缶だった。プリングルスとかそういうスナックの缶だと思ってたよ、と英語で伝えたつもりだが、ぜんぜん伝わってないのはひとえに私の英語力がまったくないからだ。終盤に電動歯ブラシをそーっと持って、まずスイッチを入れて、そうするともちろんヴーンというのだが、そのあとちょっと前にふたたびサックスに装着したスコッチウイスキーの缶の底面、サックスに上下逆に突っ込まれているいまの状況で「底」というのかどうかは分からないが、とにかくサックスから飛びでている「底面」を電動歯ブラシで擦り始めて、そうするのなら擦る直前にスイッチを入れればいいじゃない、電動歯ブラシが当てられた缶とそれが入っているサックスの音が本来の意図する音なのであれば、スイッチを入れたときのただのヴーンという作動音の立場はどうなるのよ、と思っていたら、電動歯ブラシを缶から離すときには、離す瞬間にスイッチを切っていた。演奏終了後に、プリングルスとかそういうスナックの缶だと思ってたよ、と伝えるのと同時に、サックスのなかの機器をスピーカーじゃなくマイクだと思ってたよ、と伝えようと思って、カタコトと身振り手振りで伝わるだろうとやっていたら伝わらず。木下さんが代わって英語で言ってくれたが、いまいち伝わらず。でもまあよし。ベリーシンプルシステムバットベリーインタレスティング(といってもあくまで演奏という出来事が面白かったわけだけれど)とかいっていたら、オマエモサックスヤルノカ?と聞かれ、イヤイヤ!と手を振る仕草をする。そういうふうにだらだらしていたら、お客として来ていたニュージーランド出身の(?)、というのはこの女性がストッキングにテニスボールを入れたみたいなやつをふたつもって、それをぐるぐる回しながらかるく踊っていて、一緒にいた日本人女性にこれなんですか?と聞いたら、ニュージーランドの踊りに使う道具で火をつけて踊るらしく、これは練習用とのこと。鴨川でやっているとのこと。なんか両手をいろいろ交叉させたりしながらぐるぐる回す踊りが新体操みたいできれいだったので、ビューティフルと言ってみた。