ケーブルテレビのスペシャかなんかの音楽番組を消音で観ていたら
SPECIAL OTHERSというバンドのライブが始まったのでしばらく観た。
私はSPECIAL OTHERSというバンドのライブ映像を観たけれどその音楽がどういうものか知らない。


消音にする前に、今度「REAL」というアルバムをリリースするらしいバンドのインタビューをやっていて
そのバンドのリーダーらしき人物がリアリティについて語っていたのだけれど、
リアリティについて語ることそのものにリアリティを感じなかったらどうしたらいいのかと思う。
語っていた人の言葉を借りれば、
リアリティについて語ることそのものに心に響くものがなかったらどうしたらいいのだろうか。
自分の心に響くものがリアル、というようなはなしがでていたように思うが、
ということは逆に考えると、響かないものはリアルじゃない、ということであって
なんなのだろうかこの判断の仕方は、と思う。
リアルなものは心に響く、故に心に響くものはリアルである?
なんかもうこうなってくると
(  )/非(  )、1/0、ふたつの項の対立による思考の仕組みは
思い込みによって支えられているような気がしてくるが
思い込まないことはムリなので、引き続きこの思考は有効で有り続けるし、
これは[変わらないから]変わらず有効なのではなくて
[変わり続けるから]変わらず有効なのであって、
ひとつの思い込みから出ても次の思い込みのなかにいる、つまり
無限に入れ子状になっている箱を大きい方に向かって
無限に移動し続けるだけということで、
この無限の一方向への移動、というのは時間とか円周率とか
なんかの本で読んだ、カオス(的振る舞いだったか)についての説明、
「決して折り返すことのない反復」を思い出させる。
折り返すために移動するのだが、
折り返し地点には絶対に辿り着かないということなのだろうか。
ちょっと違う気もする。


あと、上述のバンドのはなしを聞く限りで、ものすごく単純に考えると、
どうもナチュラル=リアルということのようであって
一発録りにこだわることが、なぜナチュラルで、なぜリアルなのか説明して欲しい。
ほら、アレだよ、分かるでしょ、みたいな漠然とした
前提のための前提によって簡単に語られてしまうことはたくさんある。
なんの限定も前提もなしに、ナチュラルな、自然な、そのままの、
ものごとがあるかないかなんて誰に分かるのだろうか。


といってもそのバンドを名指ししてどうこういいたいわけではなくて
(  )/非(  )、1/0、ふたつの項の対立による思考の仕組みって
いったいなんなのかが気になるだけだ。