diatxt.のネット版diaTXT.(http://www.diatxt.jp/)を発見して岡田利規のインタビューを読んでいるといままで私がフィクションとノンフィクション(ドキュメント)で捉えようとしてなかなかできなかったことがナチュラルとリアルの関係で語られていてそれを引用すると

「リアル」っていう言葉は、定義とかがいろいろ厄介な代物ですけど、現実にそういうしゃべり方をしている人間がいるのかどうかという尺度、つまりナチュラルというのとほぼ同じ意味合いでの「リアル」という部分って、さしあたってありますよね。でも、その部分を追求していっても、ナチュラルってなんなのか、すぐによくわかんなくなってきて、結局不毛だと思うんですよね。あるいは、ナチュラルっていうのが最大公約数みたいなところに落とし込まれちゃうのだとしたら、それはもっとつまらないわけですし。そんなわけで最近、ナチュラルということへの関心は、どんどん薄れてきているんですよね。で、じゃあナチュラルというのではないリアルというものは何か、という話になってきているわけなんです。

ノンフィクション(ドキュメント)
非意図、無作為(意図、作為と対比する限りにおいての)
客観(主観と対比する限りにおいての)
ナチュラ
リアル
という多くの重なり合う部分を持つそれぞれの概念の区別を曖昧にしたまま私は考えていていまもまだその細かい区別は明瞭ではないのだがとにかくもフィクションとノンフィクション(ドキュメント)で捉えようとしてなかなかできなかったことというのはナチュラルとリアルはニアリーイコールの関係(でもまだ近過ぎるかもしれないが)にあるということでこれはいまナチュラルを出発点にしてリアリティを得る道筋のほとんどが失敗に終わっているように見えることに端を発している。ナチュラルというのはとても限定的でなんらかの文脈上においてだけ成り立つというようなものでいつどこからみてもナチュラルな事なんて到底ありえないしあったとしてもそれにリアリティがあるかというとちょっと疑わしい。というよりも純粋にナチュラルなことなんてなくてナチュラル[らしく見える]ことしかないといった方がより近いのかもしれない。純粋なナチュラルよりも[らしく見える]の方に目を向けないといけないと思っている。[らしく見える]という説得力という一種のリアリティを獲得するにはどうしたらいいか。