s氏への返答とsamuraijazzライブの感想


今日、かなり久々にsamuraijazzのライブを観てきました。
最近はドラムレスでやっていたみたいなのですが
幸運にも亘君がドラム、大谷君がベースで参加した
フルバンドで観ることができました。


最初に観た時(確か2〜3年前)よりも格段に進化していて
特に最初の曲の、断片的に音が鳴っている状態から
徐々に組織化されていく部分はとても刺激的でした。
「断片から組織化へ向かい安定する手前でバラける」
というのを延々やっていても面白そうです。
演奏にはそれくらいの鋭さがありました。


あと、メンバーの魚住さんが作っている
マルチエージェントコンポジションシステム「gismo」の
簡単な説明と実際に動いている様子も観ることができました。
細かい説明はここでは省きますが、soさんの言われる
「より基底的な部分の要素のより大規模な量の自律的な運動」
に当てはまるのではないかと思います。
用途としてはループベースのリズム生成らしいのですが
一つの質感を構成する音の要素をそれぞれにコントロールする
ということもできそうでした。


僕も以前はこのような振る舞いの生成方法を考えていたのですが
よくよく考える内に「あらゆる計算や手作業によって常に様々な変化を伴う質感」
という文章は、これ以上ないくらい基底的な部分「だけ」の微かな軋みを聴く
(例えば風にはためく旗をボーッと見ているような)
というイメージに沿ったものだったように思います。


もちろんコンピューター内でアルゴリズムは用いていますが
内部でのみ完結する間接的なアルゴリズムに関しては
(自分の制作としては)興味が無くなりつつあります。
とはいってもちょこちょこ振る舞いのための
小さなアルゴリズムは作ってるんですが。


どうやら今の僕の興味は、
ある状態を音の構造物で作るといったことにではなく
ある環境に音をどういった形で存在させるか、に
あるようです。


これは音楽の内容(イメージや雰囲気なども含めた)と
その音楽の聴かれる環境について考えているからかもしれません。
なぜかは分かりませんが、自分の心理状態や物理的に置かれている状態と
その時に聴いている音楽のギャップをよく感じていて
仕事から帰ってメールチェックをする夜中などは
音楽を聴かずに外の音をいつも聴いています。
なにか音楽をかけると、その状況と無関係な音(音楽)のイメージが
どうしても気になってしまいます。
(通勤時にウォークマンで音楽を聴きますがほとんど耳栓がわりで
最近よく聴いている富田ラボや□□□などはそれぞれの音楽世界を
バーチャルに体験するような(小説を読むような)感覚で聴いています。
音楽の聴き方って元々そういうものなのかもしれませんが。。)
杉本拓の「Principia Sugimatica」やラドゥ・マルファッティとの「futatu」などは
イメージの定着(言語化?)が起きないのでそういうことがないです。
そういう意味で非常にフラットな音(音楽)だと思います。