今頃になってなんだけれど、去年行ったTKG エディションズ京都での福居伸宏さん(http://www.nobuhiro-fukui.com http://d.hatena.ne.jp/n-291/)の展示「undercurrent」についてちょっとだけ書いておきたい。福居さんの写真はネットでは見たことがあるけれど、実物っていうのかな、プリントっていうのかな、分からないけれど、見るのははじめてで、今は小山登美夫ギャラリーアーカイブで展示作品と展示の様子を見ることができるけれど(http://www.tomiokoyamagallery.com/exhibitions/nobuhiro-fukui-exhibition-undercurrent-2011/)、展示作品は大きく3つに分けられて、夜の都市の様子を撮ったもの、地面を撮ったもの、木と壁を撮ったもの、の3つ。ほいで夜の都市のものは正確には3つのシリーズ、「Multiplies」シリーズと「Juxtaposition」シリーズと「Formura」シリーズ。「Multiplies」シリーズは3点、「Juxtaposition」シリーズは4点、「Formura」シリーズは「Formura - N」という作品が一点レジカウンターのところに配置してある。「Multiplies」シリーズと「Juxtaposition」シリーズを見ていて思ったのは、なんだかこう都市の「土台」「枠組み」「骨組み」を見ているような気がするということで、もうすこし詳しくその感じを追ってみるに、「土台」の空間的・物理的な特性(人間にとっての制約でもある)を見ているような気がした。あと、地面を撮ったシリーズ「undercurrent」を見ながら、写真って一瞬を捉えるとかいうけれど、めちゃくちゃ時間あるじゃんと思った。時間あるじゃんというか、、じーっと見ることを可能にする。強制する、ともいうかもしれないけど。可能にするというか、この作品、じーっと見ることそれ自体、みたいな感じがした。それでいて、実際に地面をじーっと見るのとはまったく違う。あと、なんだろうなあ、まったく変化のないドローンを聴いているような感じもする。それ自体は変化してないけど変化しているように聴こえるし聴こうとしてしまうという。映像は文字通りの時間(変化)があるけれど、写真にも時間があるんだなという発見。見ているこっちは時間のなかにいる(変化している)んだから当たり前といえば当たり前のことなんだけれど知らなかった。映像は映像の時間で見ないといけないが、写真はこちらの時間で見ることができて、いいなあと思う。木と壁を撮ったもの「one and one - 04」は入り口前の通路のところに配置してあったけれど、とても色が綺麗で、木の枝の動きと壁の色を楽しんだが、これはそういう見方をするもんでもないのかもしれないと思いつつ。。京都のドイツ写真の展覧会で見て、あとで写真集も買った、ハイディ・シュペッカーを思い出したりもした。