ロナルド・ドーア「働くということ―グローバル化と労働の新しい意味」は昨日の風呂読書で読了。木田元現象学」は6章「メルロ=ポンティ現象学の現状」。ドーアさんのに引き続き、山森亮ベーシック・インカム入門」。ベーシック・インカムでいえば、このまえネットで読んだ、関曠野さんという方の講演録「生きるための経済」が面白かった。→http://bijp.net/transcript/article/27 銀行についてのはなしやクリフォード・ヒュー・ダグラスについてのはなしなど。直接にベーシック・インカムがどうというよりも、社会信用論に基づきマネーの性質を変えることで起きること、そしてその変化のなかで可能になるベーシック・インカムという感じか。ケインズの「我々の孫たちの代には、資本主義が安楽死し(経済システムが完成し?)基本的欲求の充足が解決され、みんな芸術や学問など文化的活動に忙しいだろう」という予言はどこかで小耳にはさんだ記憶があるけれど、これは山本握微さんの「普通芸術」の理念とどこか重なる。みんなが芸術や学問など文化的活動に忙しくなるためにはどうしたらいいか、というケインズとは逆の発想だけれども。正社員として賃仕事をすること、によって経済の問題が解決された、とするところはとくに独創的であるわけではないけれども、それを主張することに意味があるし、正社員として賃仕事をすることを「芸術のために」やむをえず、ではなく、個人のなかで芸術とは別に価値を持つものだと捉えることに意味がある。とはいえ、「正社員」というのはけっこう高いハードルであることも事実なので(社会の用意したレールを外れると戻るのはなかなかむずかしい)、このへんは検討の余地がおおいににあると思われる。どうやら握微さんのなかでは、「正社員」であることが重要なのではなくて(主張の戦略としては重要かもしれないが)、芸術とは無関係に生活(ケインズのいう基本的欲求)が確立していること、ないしは芸術とは無関係に自己の社会での立ち位置が確立していること、が重要っぽいので、というより握微さんが言っていることを私が勝手に解釈しただけだけれども、握微さんの主張がこれからどうなっていくか楽しみだなあ。ちなみに「普通芸術」は、表現の自由を求める、という意味での「インディーズ」とは性質がまったく違うと思われるので注意が必要。