どこかで誰かが言っているとも思うが、ソーシャルネットワーキングサービス、とりわけ画像(視覚)を使うもの、今ならインスタグラムやティックトックによって、いろんな物事が「ファッション」になっていく。文字通り、着ることの他、食べること、住むこと、働くこと、暮らすこと全般。ファッションになっていく、というのは比喩なので、言い換えると、「人に見られることが前提」ということか。なら、そう言った方が良いような気もするが、「人に見られることが前提」ということによって、何が起きるかというところで、ファッションと言った方が分かりやすいような気もする。トレンドとか、人からどう見えるかが「基準」になりやすいという意味で。

 

人からどう見えるかで、自分のことを決めるのもなあ、と思っていたが、よく考えると、自分がどうしたいかなど誰も自分では決められないんではないか、見られることが動機付けになり、なりたい(と思っている)自分になれるのであれば、「形」だけだとしても、それはそれで幸福な気がする。

 

新聞の広告に片付けについての本が載っていて、紹介されていた本の内容に、部屋を片付けたければ友達を呼びなさい、とあり、友達から素敵な部屋だねと言ってもらうと嬉しい、だから片付けよう、綺麗にしよう、ということで、まさしく「見られることが動機付け」の一例で、それはそうだと思う反面、「人に見られる」ことに無頓着な人には一切効果がないし、人から承認されることへの欲求が薄い人にも、この片付けアドバイスは無意味だろう。

 

SNSを通じて、承認(「いいね!」)が貨幣として流通している、みたいなことも誰か言っていたが、「インスタ映え=これを買ってインスタに載せると「いいね!」もらえますよ」「これを持っているとみんなに素敵だと思ってもらえますよ」という形で、いろんな商売が回っていて、衣食住が足りた人たちの購買意欲を刺激するためには、「他人から承認されること」が必要で、そのやり方もいろいろあるんだろう。マズローの欲求五段階説を思い出すけど、そもそもこの説ってどのくらい妥当なんだろうか。