アイチューンズストアから再度メールがあり、返金するとのこと。カードで支払いじゃない場合どうなるのか、わからん。権利としての数字が戻ってくる、という意味では同じだが。このまえ、西宮北口の東口で鈴木謙介さんらしき人を見たが、たぶん、そうだと思う。そのときは寒かったが、歩いて帰った。ちょっと前まではバスに乗っていたが、歩いたとしても30分程度で歩いて帰れることが分かったので歩く動機になりよかった。音楽は歩きながらがいちばん聞きやすい気がする。そもそもの音楽の聞き始めからして、音楽のみをじっくり聞くということがないから、当然ではある。基本的に最初からずっと「ながら聞き」なので、ライブなどに行ってじっくり聞くのがかえってしんどいといえばしんどい。あと、とはいえ、歩く時は音楽なしの方がよい。やっぱり。なんというかな、単純にイヤホンをしていると空間を感じなくなるというか、まあ音による空間認識がキャンセルされるからだけれども、とにかく、歩いているなかでの空間・環境の変化を感じられないのは、つまらない。NHKの「世界ゲーム革命」の再放送がやっている。このまえ見たあとしばらくして思ったのは、たしか電車を待っているときだったと思うけど、ケインズが「人間は経済というものに関心がなくなるだろう、基本的欲求の充足はもう何ら問題でなくなって、おそらく我々の孫たちは経済には関心がなくなり、芸術や学問など文化的な活動に忙しいだろう」と言っただか、そういうようなことを言っただか、ちょっと調べるのが難しくわからんのがなんとも微妙なところだけれども、まあその予言を思い出して、ひょっとしたらば、仮に私たちが基本的欲求の充足に心を砕くことがなくなったとして、それからなにをするかというと、芸術や学問ではなくゲームなんだろうなと思った。しかもそれはもう始まってるっぽいし。気づくのがおそいけど。芸術や学問や経済もゲームとしてやるのだと思う。それ以外にやりようがない気がする、実のところ。どういう「つもり」か、どういう動機か、を無視して結果と過程だけ見れば、結局ゲーム以前と同じだといえなくもない気もするが、かといってゲームを擁護したいわけでもない。そうでしかありえない、というだけなのか。ツイッターフーコーとかレヴィナスとかバタイユとか吉本隆明とかのボットをフォローしてみたが、なんというか、役に立たないというか、無意味な気もする。140字に最適化されていないテキストをツイッターに乗せても効果は薄いのではなかろうか。