はてなダイアリーを読み返してみると、10年前の今頃、私は「当事者ではないことへの引け目」について考えていたようだ。

 

今のコロナは全ての人が当事者になっているが、当事者性の強さのグラデーションはある。コロナに限らず、当事者性のグラデーションは何にでもあるが。

どこかで誰かが言っているとも思うが、ソーシャルネットワーキングサービス、とりわけ画像(視覚)を使うもの、今ならインスタグラムやティックトックによって、いろんな物事が「ファッション」になっていく。文字通り、着ることの他、食べること、住むこと、働くこと、暮らすこと全般。ファッションになっていく、というのは比喩なので、言い換えると、「人に見られることが前提」ということか。なら、そう言った方が良いような気もするが、「人に見られることが前提」ということによって、何が起きるかというところで、ファッションと言った方が分かりやすいような気もする。トレンドとか、人からどう見えるかが「基準」になりやすいという意味で。

 

人からどう見えるかで、自分のことを決めるのもなあ、と思っていたが、よく考えると、自分がどうしたいかなど誰も自分では決められないんではないか、見られることが動機付けになり、なりたい(と思っている)自分になれるのであれば、「形」だけだとしても、それはそれで幸福な気がする。

 

新聞の広告に片付けについての本が載っていて、紹介されていた本の内容に、部屋を片付けたければ友達を呼びなさい、とあり、友達から素敵な部屋だねと言ってもらうと嬉しい、だから片付けよう、綺麗にしよう、ということで、まさしく「見られることが動機付け」の一例で、それはそうだと思う反面、「人に見られる」ことに無頓着な人には一切効果がないし、人から承認されることへの欲求が薄い人にも、この片付けアドバイスは無意味だろう。

 

SNSを通じて、承認(「いいね!」)が貨幣として流通している、みたいなことも誰か言っていたが、「インスタ映え=これを買ってインスタに載せると「いいね!」もらえますよ」「これを持っているとみんなに素敵だと思ってもらえますよ」という形で、いろんな商売が回っていて、衣食住が足りた人たちの購買意欲を刺激するためには、「他人から承認されること」が必要で、そのやり方もいろいろあるんだろう。マズローの欲求五段階説を思い出すけど、そもそもこの説ってどのくらい妥当なんだろうか。

持続化給付金の不給付要件として下記の5点があり、2については5月の時点で議論があって、見直されたのかと勘違いしていたが、文言としては特に見直されていないっぽい。調べたら「性風俗業界で個人事業主として働く人も支給対象」という中小企業庁の答弁はあるようだ。個人が個人事業主として申請するのはいいが、事業者として申請できないのは変わりないのか。梶山弘志経済産業相の説明にある「社会通念上、公的資金による支援対象とすることに国民の理解が得られにくい」って一体なんなのか。「社会通念」がどうとか、「国民」の理解がどうとか、私たち「国民」なるものが性に関する産業に携わる人たちを差別しているかのように言うのはやめて欲しい。いや、意識せず差別していたり、ステレオタイプや偏見を持っているのかもしれない。差別について、考える必要がある。

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不給付要件

当社(個人である場合は私、団体である場合は当団体)は、給付金の交付の申請をするに当たって、
また、給付金の受領後においては、下記のいずれにも該当しないことを誓約いたします。
この誓約が虚偽であり、又はこの誓約に反したことにより、当方が不利益を被ることとなっても、
異議は一切申し立てません。



(1)国、法人税法別表第一に規定する公共法人

(2)風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に規定する「性風俗関連特殊営業」、当該営業に係る「接客業務受託営業」を行う事業者

(3)政治団体

(4)宗教上の組織若しくは団体

(5)(1)から(4)までに掲げる者のほか、給付金の趣旨・目的に照らして適当でないと中小企業庁長官が判断する者

 

生活の上での考え方・指針のようなものとして「丁寧な暮らし」という概念があるが、「納得のいく暮らし」という概念に含まれるものとして、考えてみてはどうか。つまり、「納得のいく暮らし」のひとつの種類、あるいは形式として、考える。

 

では「納得のいく暮らし」ってなんだというと、「自分で選んだ」という納得感があるかどうかだけを基準とする考え方ということになる。なので、自分が納得してさえいれば、別にどんな生活の仕方でもよい。「ずぼらな暮らし」もありえるし、ずぼらであることにこだわることもできるし、こだわることにこだわらないこともできる。

 

そのために納得のための基準を各自考える。暮らしに関するお金か、暮らし方のスタイルか、それとも特に基準を設けずその都度なるがままにまかせるか。

 

引き続き考える。