なにかこう、放射線放射性物質のリスクについての個人の考え方や選択に、どう接するかというか、他人の考え方や選択にどう向き合うかが重要になってきているのを、いまさらながら感じ始めている。放射線放射性物質のリスクについての考え方や選択って、やはり様々な「不安」(安全に対する不安、情報に対する不安、などなど)がベースにあるので、他人の考え方や選択に向き合う時は、繊細さと慎重さが必要になる。相手の不安にどういうふうに向き合うか。だから、なかなか気軽に意見を交わしたりするのがむずかしくて、そうなると異なる意見を持つ人同士が断絶していっちゃうんじゃないかなーと個人的にはそっちの方も不安。あとどうしても、意見(不安)を持たない人が責められがちなのも不安。それにこう言っちゃうとなんだけど、「不安」とか「恐れ」って(感情として?意見の理由として?)最強なので、なんというか、お互いに信頼していて、かつ慎重に話さないと意見交換がむずかしいだろうなと思う。そういえば、このあいだ仕事で福島の郡山に行ったとき、そちらの方々と何回かイタリアンレストランで食事したのだけれど、サラダを食べているときに「野菜、大丈夫ですか?」と聞かれたのが印象に残っている。一瞬なんのこと?と思ったけど、放射線のこと。「福島の野菜を食べるのは平気ですか?」ということ。正直言うと、九州在住(玄海原発があるが)独身男性のわたしはまだのんきなもので(こういうたいした理由のないのんきさもよくないが)、まったく気にしてなかった。キュウリが美味かった。ほいでもやはり不安な人たちはたくさんいるだろうなと思う。とくにお母さん・お父さんたちは不安であるだろうな、そりゃもっともだなと思う。