「しくじり」について興味がある。たとえば、こちらは確認のため聞いているだけなのに、それをしくじりを咎められていると思って「しくじらないようにしてくれてないのが悪い」と返してしまうのはなぜなんだろうか。「しくじり」たくないという気持ちが強いと、反射的に「いや、それ俺のせいじゃない」となるのだろうか。「しくじり」については、いろいろと考える余地がありそうだ。だいたい多少しくじったところでどうってことないのだけれど、「しくじり」に対して過敏すぎないか。謝ったり修正したりするまえに、「しくじり」をなかったことにしようとしたり、他人に押し付けたりするのはなぜだろう。もちろん「しくじり」は個人だけの責任ではないけど。けども、制度ややり方や他の人だけの責任でもない。だいたい「しくじり」に過敏になりすぎると「だれのせいか」にも過敏になってしまって、なんつうか、気分の悪くなることばかりになる気がするぞ。「しくじり」に不寛容な環境なり業界なりで生きてくると、自分のプライドなり利益なりを守るために自然とそうなってしまうのかもしれない。どうすればいいかというと、まあ個々の関係を良好に保つくらいしかやることはない気がする。