たとえば、東日本の復興に対して、長い目で見て、私にいったい何が可能かしら。自分のこれからの計画も含めて、というか、含めざるを得ないのか、どうなのか。から、判断せんといかんなあ。そりゃ気持ちというか全体の「空気」としては含まれるとは思うけれども、実際にどうかというとなんか難しいところだ。月に1000円ずつ10年寄付するとか考えたがどうなんだろか。やはり、自分のことをやりつつ復興のお手伝いも、となると、お金を出すというのが負担が少ない。自分のことをやって発生したお金の一部を送るわけだから、自分のことをやる以外に手間はとられない。あと、寄付するにしても赤十字とかではなく、これはと思ったNPOに送るとかした方が(復興がより身近に感じられ、動機が長続きして)いいのかどうか。しかしやっぱりなんかもう、自分のことをやっていたら知らず知らず復興をお手伝いしていた、というのがいちばん好みだな。たとえば「月に1000円ずつ10年寄付」とかも、みんなで定期的かつ長期的に募金しようプロジェクトとか、そういう啓蒙活動とかありそうだけれども、なにかをやる動機付けに「みんなでやろう」がよく使われる昨今であるけれども、なんというかそこまで一人じゃなんもできんのかなと思う反面、たしかに一人じゃなんもできんわけで、とはいえ「動員」によるハイテンション(プラス社会正義というか政治的正しさによる「社会貢献感」とかもよくある)で動機付けするのはどうも嫌いなので、なんで嫌いかというと、たとえば「よいこと」をやるにしても、なぜそれをやるのかと問われたときに、「困っている人がいるから」とか「社会のためになるから」とか言わんと、「よいことをすると人に褒められ必要とされるから」と正直に言えばいいし、別に動機はどうあれ効果があったり社会で機能するのであればなんでもよいので、なんか動機を「よく」見せる必要はないと思うからなんだけれども、ほいで「動員」によるハイテンション(プラス社会正義というか政治的正しさによる「社会貢献感」とかもよくある)で動機付けするのがなぜ嫌かというと、みんなで!の祭り感に、動機について考えてみることはいうにおよばず、実利への意識もなくなる危険性がどうしてもあるような、ということもあるにはあるだろうけれども、単に私自身が文化祭・体育祭的な「みんなで祭りだ!」のテンションについていけないためどうしても疎外感を感じてしまうから、というのは、疎外「感」と「感じる」で、感じるが二重になっているな。で、「みんなで祭りだ!ワッショイ!」のテンションについていけないのは何故かと考えた場合、その場のノリに応じて自分を捨てられない・バカになれない、ノリきれない、からだと思う。ノリきれないと格好悪いというプレッシャーがありつつも羞恥心からノリきれない、という感じか。で、ノリきったときの(その場における)格好良さ(あるいは、ウケない・素直にノルのは格好悪いというリスクを負う清々しさ(愚直さ)に対する賞賛)と羞恥心を天秤にかけた結果、羞恥心が勝ってしまうのは何故かというと、やはり自己イメージにこだわりすぎているのではないか、という疑い。いや単に、ウケない・素直にノルのは格好悪いというリスクを避ける傾向が強いからか。いやまあ、ノリや場の種類によるのか。バカになれる「ノリ」と、バカになれない「ノリ」があるような気がする。あと人数が増えるとダメかもしれない。どうしても人の目が気になって演技が硬くなるような(バカになるのも真面目なのも普段の態度もすべてその都度の演技ともいえる)。まあやっぱり、ウケない・素直にノルのは格好悪いというリスクを避ける傾向が強いからだな。それが何故かというと、そのようなリスクを負うのに慣れてないということに尽きるのかもしれない。勇気とかじゃなくて慣れだと思う。たぶん。『人前に出ることに慣れていない人=演劇用語で言えば「感情解放ができていない」人』というのを、地震の1日後くらいにツイッターのタイムラインに流れてきた誰かしらのリツイートで知ったのだけれど、そういうことかもしれない。いやいや、感情解放できんよな、ふつう。どうなんやろな。演劇やっている人は「いまこういう役を演じているのですよ」という体で感情開放するのに慣れているから、普段(日常生活)の演技でもその方法を応用できるのだろう。握微さんとか見てると時々演技の役が切り替わってるもんな。スムーズに。んんー、いや、ということでいえば、普段よく使う「キャラ」っていうのは「役」のことか。そうか。まあひとつの役=キャラを演じ続けるのも現実的に無理があるし、とはいえその都度の場のノリに要請される複数の役=キャラを演じ分けるのも疲れるわけで、まあなんともいえない。で、おそらく「演じない」という選択肢はないと思う。私は私だ、演じないのだ!という役・キャラ、つまり自分にとって唯一の自分という役・キャラを演じないといけなくなる。ほいで、その演じない自分のキャラ設定は?というときに、あれどうやって決めたんやったかな、となるし。