おっ、ユリイカソーシャルネットワーク特集、今日発売日か。梅田のブックファーストかどっかで見てみるか。思想地図ボリューム3、特集アーキテクチャは一昨日くらいに読み終えた。いま持ち歩いて読んでいるのは、原田曜平「近頃の若者はなぜダメなのかー携帯世代と「新村社会」」、菊池理夫「日本を甦らせる政治思想 現代コミュニタリアニズム入門」のふたつの新書。前者は書名がちょっとアレだな。ダメだと思っている人の気を引こうとしているのは分かるけれども、はたしてどこまで効果があるか。内容は興味深い、けどもちろん鵜呑みにはできないし。情報だけの既視感による、無意識の、ソフトで消極的な引きこもり、著者言うところの「半径5キロメートル生活」っていうのは確かに私らの年齢でもあるな。いや、でもなー、そもそも人間そんなもんじゃないのか。基本的な能力、というか、人間が認識し活動できる「世界」の広さの基本的なものとしては。半径5キロメートルでなんでもすんでたんじゃないか。私が子供の頃は、歩いて10分、チャリで5分くらいのところに、魚屋兼肉屋兼雑貨屋兼酒屋兼飲み屋兼駄菓子屋みたいな店があった。そして隣接する半径5キロメートルにもそういう店があった。けれど、みんなが車でスーパーに買い物に行くようになったからか、だんだんなくなっていった。あとまあ、ネットワーク能力の格差っていうのは、情報技術による「世界」の拡がりへの対応の仕方の違いが直接格差に結びついていて、その直接さっぷりがおもしろい。開/閉の2極があって、その間の無数の階調のグラデーションになっている。開/閉というよりも、相変わらず情報としての「世界」は拡がり続けているので、自分の認識しうる圏域のスケールを情報「世界」の膨張に合わせてスケールアップしようとするか、身の丈と称してスケールダウンしようとするか、の2極がある。スケール最大が「あらゆる人とつながる」で、スケール最小が「自分ひとりだけ(とつながる)」。うーん、ほいで、コンピュータ以前、インターネット以前、複製技術以前、文字以前にも「つながり強者」はいたはず、と思うのだけれど、それはスケールの違いだけで、条件みたいなもんは同じような気もする。つながり維持のコスト・費用と、つながり活用のベネフィット・利益を計算する、天秤にかける、ためには、なんらかの軸=具体的な目的が必要になるだろうし、つながりを「どう」活用するかの方向を決定する軸としてもなにかしらの具体的な目的が必要になる。嘘でもなんでもとにかく目的がいる。んだろうなーと思う。ということは、なんらかの具体的、つまり、論理的な段階を踏むことのできる、目的を嘘でもなんでもいいから設定できるかどうかで、「つながり」強者になれるかどうかが決まるのかしらなー。むずかしなー、無理やろなー、自分には。つながっているうちに目的が、みたいなことを言うけどなー。どうやろかなー。