「人間だもの」をグーグル翻訳にかけて英語にしてみると「Non-human being」になり、それをさらにグーグル翻訳にかけて日本語にしてみると「非人間」になる。人間じゃないもの?「リア充」という言葉を実際に耳にしたのはほんのこの間で、それまでは、何の意味かは分からんがまあなんか意味があるんだろう程度に思っていた。ひとつ思うのは、人間って、自と他の区別をするのが好きで、さらにその区別から慰めを得ているということ。面白いなと思う。ゆえに、「人間だもの」をグーグル翻訳にかけてみたわけで、しかしなんばのタワレコの品揃えはなんだ。タワレコだもの。のもだもの。いや、ググってみたらやっぱりあるな、野茂だもの。「世界紛争地図」はだいぶ前に読み終えた。東浩紀宮台真司「父として考える」もこのまえ読み終えた。佐々木俊尚「グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する」も読み終えた。これはさっと読める。榊原英資「為替がわかれば世界がわかる」と、東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」を読んでいる。文庫とか新書ばっかりだな。あ、グィンの「闇の左手」も読んでいるところだが、ちょっと休止中。「闇の左手」、江崎さんも絶賛。江崎さんも絶賛、ってちょっと韻を踏んでるっぽい。えざきさんもぜっさん。この前ブックオフオンラインで手に入れた、濱野智史アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか」もはやめに読みたいところ。この前ブックオフオンラインで買ったものといえば、三代目三遊亭金馬「浮世断語」も楽しみだが。あと、あれだ。このまえ思ったことだけれど、自分自身が、あるなにか特定の活動なり場所なり、まあ活動かおおざっぱに言えば、に深くコミットできない、んじゃなくて、したくないのか、がなんでかというと、ひとつに漠然とした防衛本能みたいなのが働くからなのか。。いま、なにかを専門にやるとなると、なんか追い詰められていく気がする。古き良き「職人」みたいな風になるのはちょっと稀なんじゃないか。そういう条件が少なくなっているんじゃないか、と思う。古き良き「職人」になれたらよいけど、自分の専門以外には興味も責任も尊敬も持たない狭量な人になってしまう可能性の方が高くないか。多かれ少なかれみんなそうだけども。。ふたつめに、深くコミットするとなると、団結とか一貫性とかチームとしてのモチベーションとか、とにかく組織体としての統一というか運営方法に関わらざるをえないわけで、とはいえ多くの場合では、組織体としての活動の「実行」が重視されるわけで、当たり前だけど、実行が重視されるということは、組織運営の方法への疑義が差し挟みにくいわけで(そりゃ、なんのかの言わんとまずやろうや!となるよね、ふつう)、たいていの場合、組織運営の方法へ疑義を差し挟むと全体のモチベーションは下がってくる。せっかくみんなで盛り上がってたのに、みたいに。まあ、そもそもなんでモチベーションが下がるのかも問題にしたいわけだけれど、つまりモチベーションの条件はなにか、ということだけれども、そういうこと言い出すと、組織体としての活動の「実行」が不可能になっていくわけで、あまりよろしくない。そしてどうやら私は、組織体の活動の「実行」とその「結果」よりも、それらが可能になる条件が気になっている。「問題」はたくさんあるが、人間もたくさんいるわけで、誰かがその「問題」については考え行動していて、それぞれに「解決」させようとしている。いま必要なのは、その複数の問題および解決(策)をそれぞれに関係づけることなのかもなーと思ったりもする。だから、個別の活動にコミットすると、だんだん面倒くさくなってくるし、組織体にも迷惑がかかる。これはよくない。なのでなるべく、実行と条件への興味を区別してバランスをとりたいとは思う。が、正直なところ、実行は誰かたちがやってくれるというか、ほっといても誰かたちはなんらかの活動を実行し社会に貢献しようとするわけで、その実行の条件を整えたり、実行同士を関係づけたりする役割の方が性に合っているのかもしれない。おっ、それ面白いよ、こういう風に面白いと思うよ、ぜひともやりなよ、と言う役。いや、でもこれ、ちょっとカウンセラーじみている。うーん、いや単に、自分のコミットする活動に過剰に自負を持ってしまうと、ありゃちょっと違うかもって時に変えづらいし辞めづらい。しかし、なんとなくいまの世の中の雰囲気って、やたら意欲とか志とか言うけど、そういう情熱みたいなものと過剰な自負との区別がなくて、何の役にも立たない自負だけを持ち続けてしまったりする。これはちょっと怖いというかなんというか。いやまあ過剰な自負がまったく何の役に立たないわけでもない。それでひと一人が誇りを持って生きていくことができるなら、すばらしいことだとも言える。いやー、どうやろ。いまや社会は個人にも説明責任、生きていることへの説明責任、を求めるようになっていて、それがまずいんだろうなと思う。神さまが死んでからなのかな、これは。神さまの代わりに「他人さま」、言い換えれば「お客さま」がいるけどね。「社会さま」もあるか。これは「世間さま」の変形?