歩いて帰る途中にツタヤがあるので寄ってみたところ、インセプションがあったので借りてみる。一泊二日と二泊三日のどちらかということで、いまの時間から一泊二日はどうなるんですかと聞いてみたらば、明日の朝10までに返却ボックスに入れておいたらよい、とのことでたぶん無理やろ。二泊三日で。460円です。千円札で。しかし、最近は見てないが、夢の中で夢だと気付く夢って面白いし、少しならコントロールもできたりする。そういう時ってなんというかな、現実に思ったように動くのとはもちろん違うし、だからといって外側から映像を操作するように、もしくはストーリーを作るように、コントロールするわけでもない。操作の対象でありつつ主体でもある、みたいな状態なのか。すべてコントロールできるわけでもないので、状況に少し手を入れる感じ。状況としての自分(夢の当事者・視点)に介入するというか。あっ、いまちょこっと気付いたが、どうも夢って、「自分」が二重になってないか。夢の中で行為する自分と、夢を見ている、つまり視点として、または経験としての自分と。厳密には、その二つに眠っている自分が入って三重になる。ほいで、行為者としての自分と視点としての自分の関係のあり方によって、夢がコントロールできるかどうかが違う気がする。ちなみに、行為者としての自分から見えるものが、そのまま視点としての自分に見えるものである時もあれば、自分が行為している映像を自分で見ているような時もある。これは変な気分。主体が二重になってしまっている。また、そのどちらの場合でも、夢だと気付いて操作可能になったことがあるような気がする。なので、さっき関係のあり方だと書いたがおそらくは、視点としての自分がこれは夢だと気付くかどうかで、操作可能かどうかが決まるような。うーん、具体的な夢といえば、海の上をパラグライダーで飛んでいて、なぜか落ちて足を下にしてどんどん深海に沈んでいく時に、あっ、これ夢だから死なないな、ほっとこう、、と思ったり、あとはなぜか戦闘に巻き込まれたりするときに、撃たれても死なないのが不思議。たぶん死んだことないからだと思う。そういう時は、ん、死なないなと思う。うーん、操作といえばなんやろ。ちょっと前からやり直したり、してるな、そういえば。そういうタイプの場合、うまく行くまで何度も繰り返している、時間を巻き戻して。ぴったりくる行為のイメージを探しているというか。任意の登場人物を出したりとか、自由に空に浮いたり飛んだりとかも記憶にある。いまからメイキング映像らしき映像を見てみる。