この前の友達の結婚式のあとから、いまの「総ツッコミ社会」について考えていたら、似たようなことを糸井重里さんがツイッターでつぶやいていたが、ネット社会の研究では昔からありそうだ。総ツッコミ社会って書いたけど、ここでいうツッコミはもちろんお笑いにおけるそれ。ネットでいう、ネタにして笑い者にする、というのとも近いけど。そのどちらも時には生産的であったりもするのだが、いや、するかな??せまい遊びの域を超えるのか??まあ、なんだか暴力的な部分もある。と思いながらお風呂に入っていたら、ひとつ気付いた。お笑いでいうツッコミにはボケがつきものだが、私たちが日々おこなうツッコミにはボケがいなかったりする。つまり、ボケてるつもりのないもの・こと・ひとに対してツッコミを入れて遊んだり笑いをとろうとすることが多い。毒舌というものもこれと近い。これ、松本人志がよくやってる気がする。そもそもなんで、われわれ素人がツッコミたいのかなと思うわけなのだけれど、まあ「笑われないで(ボケ)」、つまり「笑わせて」、笑いをとりたい、っていうのがある気がする(プロでもないのに)。それがなぜかというと、自分がツッコまれないために、つまり「ネタ・笑い者」にされないために、誰かや何かにツッコむという。というか、なぜここまで「お笑い」的感性が私たちのコミュニケーションを規定しているんだろう。テレビでいつもやってるから、だけじゃなかろうなあ。いや、規定というより、お笑いを利用しているというべきか。